「江戸時代」に関連する用語一覧

信士

信士とは男性の戒名の最後につく語で、女性でいう信女にあたります。信士はもっとも一般的な戒名とも言われ、位階の中では下の位になりますが、寺院によっては、ほとんどの戒名が、この信士、信女であるケースも少なくありません。信士は、サンスクリット語のupasakaを音写した優婆塞から来ていると言われています。優婆塞は、仕える、敬う、礼拝すると...続きを読む

伊勢神宮

伊勢神宮とは、三重県伊勢市にある神社本庁の本宗です。内宮の皇大神宮と、外宮の豊受大神宮からなります。宮社は全部で125あり、これら全てを含めて伊勢神宮とよんでいます。皇大神宮には天照大神、豊受大神宮には五穀の神の豊受大神がまつられています。皇大神宮の正殿は神明造りという独特の建築方法で知られています。また、二十年に一度遷宮(式年遷宮...続きを読む

居士

居士とは、出家せずに、家庭で修行をする仏教徒を表す言葉です。男性の在家仏教徒という意味です。家に居る士ということから名前がつきました。一般の信者と違って、出家こそしていないとはいえ、仏教の知識や経験においては、僧侶と同程度の力量を持っているという意味があります。また、戒名の最後の位号と呼ばれる部分につける敬称にも使われています。居士...続きを読む

東本願寺

東本願寺とは、京都市下京区にある真宗大谷派の本山です。12代教如によって西本願寺から分裂して建立された寺院です。京都駅の前にあり、京都を代表する観光名所になっています。江戸時代初期に、西本願寺に対抗するように建設されました。幕末に禁門の変で焼失し、明治28年に再建されています。親鸞聖人没後、その遺骨は東山大谷に収められました。墳墓の...続きを読む

智積院

智積院とは、京都市東山区にある、真言宗智山派の総本山の寺院です。鎌倉時代の中期に、頼瑜が高野山から寺院を根来山(和歌山)へ移動しました。これが智積院の始まりです。巨大化し勢力を持ったために、豊臣秀吉と対立するようになり、根来山内の堂塔のほとんどを失ってしまいました。住職だった玄宥(げんゆう)は京都に逃れ、秀吉が亡くなった年に智積院を...続きを読む

知恩院

知恩院とは、京都府京都市東山区にある、浄土宗の総本山です。浄土宗の宗祖、法然が開基しました。法然没後、江戸時代に現在の規模になり、大小106の伽藍からなります。国宝の日本最大と言われる三門は高さ24メートルにもなります。続きを読む

寺請制度

寺請制度とは、江戸時代にキリスト教を排除する目的で「すべての人は寺院の檀家となり、寺院から寺請証文を受け取ること」を強要した制度です。檀家は特定の寺院に所属することでお布施を払い、葬儀や法要の一切をおこなってもらうことになります。寺院はお布施で潤うことになりますが、同時に檀家の管理を請け負う責任を持たされることになりました。事実上寺...続きを読む

棚経

棚経とは、僧侶が一軒一軒檀家を回り、お盆のお経をあげることをいいます。棚経の棚は、盆棚、精霊棚の棚からきています。お経も仏壇の前に限らず、精霊棚の前で読まれることもあります。盆棚は、供物を飾る棚で、庭先や座敷に飾られます。最近では仏壇の前に設けることが多くなっています。続きを読む

町屋斎場

町屋斎場は、東京23区内に8か所のみ存在する、火葬場が併設された総合斎場の一つです。火葬炉12基、式場10室、休憩室15室、控室10室という三階建ての大型斎場で、宗派を問わずに使用することが可能です。斎場内に霊安室があるため、自宅で故人を引き取れない場合でも、直接町屋斎場へ搬送することが可能です。また、火葬のみを利用することもできる...続きを読む

袈裟

袈裟とは、僧侶が身につける衣装のことで、インドの僧侶が身にまとっていた布からきた言葉です。本来、僧侶は出家し、財産になるような私有物を持つことができなかったため、端切れ布を拾い集めて身を覆うための布を作り、それを用いたことから、袈裟が始まりました。袈裟には、作業着の安陀会、普段着の鬱多羅僧、儀式や訪問着とされる僧伽梨の3種類があり、...続きを読む

禅宗

禅宗とは、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗に代表される座禅を用いた修行を行う仏教の宗派です。全ての人には、内面に仏性があり、それを再発見するためには座禅の修行を行い、仏教における心理を体験をもって知るとされています。インドに始まった禅を6世紀の前半に達磨が中国へ伝えて発展させました。日本では鎌倉時代の初期に栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、江戸時代...続きを読む

時宗

時宗とは、浄土教の一宗派で、鎌倉時代に一遍を祖師としておった宗派です。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺です。一日に六回、決まった時間に念仏をとなえる集団を六時念仏衆と言い、一遍は弟子と自分を「時衆」と称していました。「宗」の文字を使うようになったのは、江戸時代以降とされています。阿弥陀経を根本経典とし,臨命終時を説きました。平生が臨...続きを読む

黄檗宗

黄檗宗は、曹洞宗、臨済宗とともに日本三禅宗の一つです。1874年に一度臨済宗と合併し、2年後に独立しました。本山は京都府宇治市の黄檗山萬福寺です。教義は、臨済禅の一派とされますが、日本における臨済宗とは異なる中国式なため、臨済宗とは分離した独立一派となっています。江戸時代の1654年に、国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺の住職、隠元...続きを読む

黒住教

黒住教とは、神道十三派の一つで、幕末三大新宗教の一つです。江戸時代に岡山県で黒住宗忠が開いた教派神道です。天理教、金光教に先駆けて教義を確立し、江戸時代後期には教団を形成しました。「天照大御神」を中心に、「八百萬神」「教祖宗忠神」御神体として、毎日の日拝を信者の務めとしています。日拝は太陽を拝むことをいいます。これは教祖である黒住宗...続きを読む

檀家制度

檀家制度は、江戸時代の寺請制度がその始まりと言われています。檀家が、特定の寺院に所属して、葬祭供養一切をその寺院に任せる代わりに、布施として経済支援を行うことが檀家制度です。江戸時代は、宗旨人別帳などと呼ばれる戸籍台帳のようなものを寺院が作成管理していました。これには檀家の家族、奉公人、出入りの行商人などのすべての項目があり、名前、...続きを読む

檀家

檀家とは、特定の寺に所属して寺を支援する家のことを指します。「ダーナパティ」というサンスクリット語から来た言葉で「寺や僧を援助する庇護者」という意味があります。檀家が、葬祭供養一切をその寺院に任せる代わりに、布施として経済支援を行うことが檀家制度です。鎌倉時代から使われ出した言葉で、室町時代の末期頃から自然と檀家関係ができたといわれ...続きを読む

野辺の送り

葬儀の後に火葬場や埋葬地まで葬列を組み、故人を送っていくことを野辺の送りといいます。野辺とは埋葬の意味です。かつては、自宅で葬儀を行い、遺体の埋葬や火葬を行う場所へは、親族や地域の人が、棺桶を担いで移動していました。火葬率がほぼ100%となった現在の日本では、野辺の送りという言葉はあまり使われることがなくなりましたが、近しい親族など...続きを読む

脚絆

葬儀で用いられる脚絆は、死装束の一つで、足に付ける服飾品のことです。脚絆は、労働や長期歩行の際に、足を保護することと動きやすくするためにつける服装品のことで、ズボンのすその広がりを押さえる事で活動しやすくさせるという目的や、臑を保護することで脚のうっ血を防ぎ血流を良くするという目的で用いられてきました。平安時代には臑につける服装品の...続きを読む

仏壇

仏壇は、家庭で仏様にお参りするための厨子で、先祖代々をお祀りする祭壇です。仏像の内部には、各宗派の本山寺院の仏堂を似せた作りになっています。中には本尊や位牌を収めます。仏壇の起源は諸説あるものの、おおむね江戸時代に寺請制度が始まり、菩提寺を定め、その檀家になることが義務付けられた時点で、庶民に深く浸透していきました。先祖の命日には僧...続きを読む

塗位牌

塗位牌とは、四十九日の忌明け後に、仏壇に祀られ、その後末永くお祀りすることになる位牌(本位牌)をいいます。本位牌のうち、漆を塗り、金箔や金粉などを使ってあるものを特に「塗位牌」と呼び、多く見られます。黒檀や紫檀を用い「唐木位牌」と呼ばれるものもあります。表には、戒名と没年月日を、裏には、俗名と享年を彫ります。白木位牌に書いてあった、...続きを読む

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