智積院

  • 読み:ちしゃくいん・ちじゃくいん
  • 別名:真言宗智山派総本山智積院

智積院とは

智積院とは、京都市東山区にある、真言宗智山派総本山寺院です。

鎌倉時代の中期に、頼瑜が高野山から寺院を根来山(和歌山)へ移動しました。これが智積院の始まりです。

巨大化し勢力を持ったために、豊臣秀吉と対立するようになり、根来山内の堂塔のほとんどを失ってしまいました。

住職だった玄宥(げんゆう)は京都に逃れ、秀吉が亡くなった年に智積院を再興、開基しました。

徳川家康から東山の豊国神社の建物と土地、秀吉の3歳で亡くなった子ども、鶴松の菩提寺の祥雲禅寺の土地も与えられ、規模は拡大しました。

智積院の歴史と今

現在の講堂は、発掘調査などを経て検出された、祥雲禅寺方丈客殿の遺構を参考に1992年に建設されたものです。

国宝になっている「大書院障壁画」25面や、「紙本金地著色松に草花図」、重要文化財に指定されている曼荼羅図などが有名です。

また、江戸時代の智積院は学問のメッカとしても知られていて、現在の大学のような役割を果たしていました。

学僧だけでなく、他宗派の僧侶や一般人も勉強のために訪れ、天文、地学、梵字の学習で名高かったといいます。現在でも僧侶の修行の場としての学山として知られています。

関連する用語:玄宥 真言宗智山派 大書院障壁画 東寺 東大寺

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