「鎌倉時代」に関連する用語一覧

華厳宗

華厳宗とは、大乗仏教の宗派のひとつです。華厳経を所依とし根本聖典にしています。独自の教学体系を立てています。開祖は杜順で、第二祖が智儼、第三祖は法蔵、第四祖は澄観、第五祖の宗密へと相承されています。華厳教学は、天台教学に並ぶ仏教の代表的な思想です。華厳宗では四法界と言う世界感があります。人間の考える実法界、自我を捨てた虚無の理法界、...続きを読む

庫裏

庫裏とは、仏教寺院の伽藍(寺院の建物)のひとつです。庫裡と書くこともあります。「裏」も「裡」もどちらも内や中という意味があります。寺院の台所であり、居住する場所を意味します。大規模な寺院では、独立した建物になっていて、歴史の古い寺院においては、庫裏の建物が文化財に指定されているものもあります。中小規模の寺院では、建物として独立してい...続きを読む

五山制度

五山制度は、インドの五精舎が中国南宋に伝わり、禅宗の保護と統制の目的で定めた寺格のひとつです。寺格というのは、寺院の社会的な地位や、宗教的な地位を鑑みて、政府が認めた寺院の格式のことです。日本の五山制度は、一般的には臨済宗の寺格制度になります。鎌倉時代後期に入ると、日本に禅宗が入り、普及するようになりました。1299年、鎌倉幕府執権...続きを読む

円覚寺

円覚寺とは、鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の大本山です。鎌倉五山の中では、第二位になります。本尊は宝冠釈迦如来で、北条時宗が開基しました。円覚寺の名前の由来は、建立の際に大乗経典の円覚経が出土したためと言われています。円覚寺は鎌倉幕府の執権北条時宗が、中国僧の無学祖元を招いて開基し、北条得宗の祈祷寺になり、鎌倉時代を通して、北条氏...続きを読む

鎌倉五山

鎌倉五山は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗の禅寺で、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つの寺院とその寺格のことです。京都五山に対して言います。中国南宋時代に五山官寺制度があり、それが日本に鎌倉時代に伝わり、北条氏によって導入されました。その後、鎌倉幕府が滅亡すると、鎌倉中心の五山ではなく、京都を中心とした五山が定められました。幕...続きを読む

京都五山

京都五山とは、京都にある臨済宗の五大寺である南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺のことです。鎌倉五山に対して使われます。中国南宋時代の五山官寺制度で、禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺院を決定したことに由来しています。日本に伝わったのは鎌倉時代で、当初は鎌倉五山が先にありました。京都に五山ができたのは、その後後醍...続きを読む

東密

東密は、真言宗の密教です。天台宗の台密に対して言われます。空海が伝えた密教で、真言宗の東寺が根本道場になっています。東密は、大日如来を主尊とし、大日如来と釈尊は別体とすること、金剛頂経より大日経を重んじるという二つの特徴があります。「秘奥の三密」は、身密、語密、意密のことを指し、仏陀の深い悟りを説く教えです。東密には、本有学派、修生...続きを読む

廃寺

廃寺とは、廃止された寺院、または寺院を廃止することをさす言葉です。廃寺に至る理由はさまざまありますが、最終的には寺院として継続することが難しくなったから廃止したということになります。廃仏毀釈の時などの宗教弾圧によって寺院が破壊され、続けていくことができなくなったもの、経済的に継続が難しくなったもの、地震や戦争などで寺院が崩壊し、再建...続きを読む

涅槃仏

涅槃仏とは、釈迦が入滅する際の様子をあらわした仏像です。タイのワット・ポーにある大型の涅槃仏は有名です。右手を枕に頭は北向き、顔は西向きに寝そべった姿があらわされています。この姿勢から、一般に人が亡くなった時に北枕に寝かす由縁になったといわれています。足の裏には宇宙観を表すも文様が描かれています。右脇を下に両足は上下に重ねた体勢で眠...続きを読む

称名

称名とは、仏を心の中に念じて、仏の名を声に出して唱えることを言います。特に浄土教で、阿弥陀仏の名前である「南無阿弥陀仏」と唱えることをさします。広義には、南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無観世音菩薩、南無大師遍照金剛などをさします。日蓮系、法華経系では、お題目とよんで、南無妙法蓮華経を唱えます。称名を修行のひとつとして考えられている...続きを読む

鎌倉仏教

鎌倉仏教とは、鎌倉時代に興隆した仏教です。平安後期から鎌倉時代にかけて、日本は戦乱の世にあり、社会不安の中で人々は心のよりどころを求めました。武士や庶民にはそれまでの仏教は難解で、共感しにくいものでした。鎌倉仏教は、民衆中心で実践方法はシンプル、政治権力に対して自立しているなどの特徴的があります。現代に続く宗派の中で、鎌倉時代に誕生...続きを読む

寝棺

寝棺とは、故人をあおむけに寝かした状態で納める棺のことで、座棺に対して言われる言葉です。江戸時代には、桶型の座棺が一般的に使用されていて、一部の身分の高い人だけが寝棺に収められていました。現代の日本においては火葬が一般的なため、天然木棺や、合板棺、それに布をはった布張り棺などを使用しています。形は箱型、山型、かまぼこ型などがあり、外...続きを読む

座棺

座棺とは、座った姿勢で遺体を納める棺のことです。現在用いられている棺は「寝棺(ねかん)」と呼ばれ、座棺とは異なるものです。鎌倉時代には、樽の形の座棺があったといいます。この樽型の座棺から「棺桶」という言葉ができたといいます。座棺は、火葬文化が主流になる前に、男二人で棒で担いで運びやすい形態だったことや、土葬に適していたために使われて...続きを読む

日蓮正宗

日蓮正宗とは、富士門流ともいわれ、日蓮宗の一派です。日蓮系の教団は日蓮宗、顕本法華宗、日蓮正宗、日蓮本宗など多数あり、その中の一つです。日蓮正宗は、静岡県富士宮市の大石寺が本山になっています。南条時光の外護を受けた寺院です。鎌倉時代の日蓮宗の僧侶、日興によって開創されました。日興は日蓮が亡くなると身延山で日蓮の墓所を守っていましたが...続きを読む

大念佛寺

大念佛寺は、日本最初の念仏道場として知られている融通念仏宗の総本山です。融通念仏宗は浄土教の宗派の一つです。大阪市平野区にあり、1127年に開創されたといいます。開祖で天台宗の僧侶であった良忍は、四天王寺で聖徳太子が夢のお告げに現れ、自分の念仏の功徳は全ての人に融通し、全ての人の念仏もまた融通することで自分の功徳になるという思想に達...続きを読む

浄土教

浄土教とは、極楽浄土に往生するため、阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏するという教えです。極楽浄土は阿弥陀仏が住んでいるといわれる国です。浄土教は、中国で発達したあと、奈良時代に日本に伝えられました。鎌倉時代に源信と、その弟子である法然が確立した浄土宗が特徴的です。平安時代から鎌倉時代にいたる世情不安の中、浄土教は流行していきました。法然の...続きを読む

八宗兼学

八宗兼学とは、八宗の教義を全て勉強していることで、物事を良く知っている様子を表す言葉でもあります。仏教には八宗があります。倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗の八つです。南都六宗に平安時代に伝わった天台宗と真言宗を加えた八宗です。広くさまざまな教学を学び、身に付けることが、学僧にとっては理想だとされていました。続きを読む

法然

法然(1133年~1212年)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍し、教えを広めた日本の僧侶です。法然がはじめに触れたのは、大乗仏教の宗派のひとつ「天台宗」で、場所は比叡山でした。修業を積み、比叡山を降りたのは1175年43歳の時で、その後は東山吉水に住居を置き、念仏の教えを広めることに努めました。この1175年が浄土宗の立教開...続きを読む

東寺

東寺とは、京都市にある東寺真言宗の総本山です。嵯峨天皇から空海に東寺が下賜(かし)されて、真言密教の根本道場となったことから、日本で最初に密教寺院が誕生したといわれています。空海が住居を構えたところとして、御影堂(みえいどう)では今でも毎日、生身供といって、空海が生きているように毎朝食事が出されているといいます。1994年には世界遺...続きを読む

念仏

念仏とは、大義では仏を念じて、その姿や功徳を心に思い浮かべることを表しています。法身念仏で仏の理法をとなえ、観念念仏では仏の功徳を念じます。また、一般的に念仏というと、称名念仏といって、仏の名前を唱えることを意味します。続きを読む

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