「奈良時代」に関連する用語一覧

金剛杵

金剛杵は、仏教の修法に用いる法具で外道悪魔や煩悩を破るとされています。杵のような形をしていて、中央の握る部分が細くなり両端に刃や鋸がついています。刃の形や数などで種類はいろいろあります。真鍮や鋼といった材料を用いて作られます。インドのバジラといわれる武器からきています。雷をかたどったものともされていて、雷霆神インドラの持ち物としても...続きを読む

庚申塔

庚申塔は、60年に一度の庚申の年建立されたもので、主に集落のはずれの村の境目などに置かれていました。道祖神のように村や辻の守り神の役割を果たしていました。江戸時代の初めに建立が広く行われるようになりました。奈良時代に中国から伝来した道教に由来した庚申信仰は日本の信仰と結びついて発展しました。庚申信仰では、人の体内には三尸虫という虫が...続きを読む

伽藍

伽藍とは、僧伽藍という言葉を短くしたもので、同じ志を持った人が集まる場所という意味があります。僧が集まり住むところで、修行をする清浄閑静な場所を指す言葉です。転じて、大きな寺や寺院の建物という意味を持つようになりました。梵語でサンガといえば「寄合」「集まり」と言った意味を表します。これを音写にしたものが僧伽になります。奈良時代までは...続きを読む

鑑真

鑑真とは、奈良時代に日本に仏教の教えを正しく広めるため活動した帰化僧です。日本に律宗を開いた開祖です。唐の揚州江陽県の生まれで、14歳で得度し、20歳で長安に入り、翌年から律宗・天台宗を学だといわれています。当時の日本には伝戒師が必要で、聖武天皇は優秀な僧を探していたため、742年に日本から唐に渡った僧・栄叡、普照などに戒律を日本に...続きを読む

雑密

雑密とは、真言密教や天台密教が成立する前に、奈良時代にはあったという初期の密教です。大日如来出現以前の密教を雑密といい、これが密教の初期と考えられています。雑密には呪術的な要素が多く、体系化される以前の密教で、祭祀宗教であるバラモン教のマントラの影響を強く受けています。雑密の修行は山の祖霊を信仰する山岳信仰に基づいたもので、インドの...続きを読む

僧侶

僧侶とは、出家して仏教の戒律を守る修行者のことをさす言葉です。古代インドでは、家庭を捨てて出家し、旅をしながら修行する行者をさす言葉でした。サンスクリット語のsaṃghaから来た言葉で、僧伽とも言われます。元来は集団、共同体と言った意味があり、修行者の集団をあらわす言葉です。日本では、奈良時代には伝統的な出家と具足戒という僧団の禁則...続きを読む

廃寺

廃寺とは、廃止された寺院、または寺院を廃止することをさす言葉です。廃寺に至る理由はさまざまありますが、最終的には寺院として継続することが難しくなったから廃止したということになります。廃仏毀釈の時などの宗教弾圧によって寺院が破壊され、続けていくことができなくなったもの、経済的に継続が難しくなったもの、地震や戦争などで寺院が崩壊し、再建...続きを読む

南都七大寺

南都七大寺とは、奈良にある七つの大寺のことです。奈良を南都と言っていたことから、その名があります。平城京とその周辺にあって、朝廷の保護を受けていた寺院のことです。興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺の七つの寺院ですが、法隆寺の代わりに唐招提寺を入れたり、西大寺の代わりに川原寺を入れる説もあります。南都七大寺は平城京...続きを読む

神仏分離

神仏分離とは、奈良時代から続いていた神仏習合の慣習を禁止して、神道と仏教を区別させたことをいいます。江戸時代後期の復古神道に伴い盛んになった思想で、明治政府によって神仏分離令が発令されました。慶応4年3月13日から明治元年10月18日に一連の通達に基づき、公的に行われました。最初に発した太政官布告は、別名で神仏分離令と言われています...続きを読む

神宮寺

神宮寺とは、神社に付属して建てられた仏教寺院です。奈良時代、日本固有の神道と、外来である仏教との調和、融合のために唱えられた教説が神仏習合です。神宮寺はその結果生まれました。多くは神社に付属して建てられ、仏教施設や山内寺院として建設がされました。運営は仏教僧や寺院が行っていました。社僧と言われる神宮寺に住んで仏事を行う僧侶が、神社の...続きを読む

盧遮那仏

盧遮那仏とは、大乗仏教の仏のひとつです。サンスクリット語のバイローチャナの音写から来た言葉です。バイは広く、ローチャナは「照らす」を意味するルチを語源にしています。華厳経の本尊で、太陽の意味があります。光の仏とも称される所以です。盧遮那仏の身から出た光で、宇宙の真理を全ての人を照らし、悟りに導く仏です。仏智の広大無辺を象徴するといわ...続きを読む

冠婚葬祭

冠婚葬祭とは、元服・婚礼・葬儀・祖先の祭祀の四つの儀式から来た言葉です。冠とは元服、成人になることを表していました。古来は、この四つの大きな儀式が、生涯のうちで最も大切な催しとされていました。元服は奈良時代以降の、男子の成人で、数え年で、12から16歳の男子が、氏神の前で大人の髪型に結い、冠親から冠をつけてもらった儀式です。女性の成...続きを読む

寝棺

寝棺とは、故人をあおむけに寝かした状態で納める棺のことで、座棺に対して言われる言葉です。江戸時代には、桶型の座棺が一般的に使用されていて、一部の身分の高い人だけが寝棺に収められていました。現代の日本においては火葬が一般的なため、天然木棺や、合板棺、それに布をはった布張り棺などを使用しています。形は箱型、山型、かまぼこ型などがあり、外...続きを読む

浄土教

浄土教とは、極楽浄土に往生するため、阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏するという教えです。極楽浄土は阿弥陀仏が住んでいるといわれる国です。浄土教は、中国で発達したあと、奈良時代に日本に伝えられました。鎌倉時代に源信と、その弟子である法然が確立した浄土宗が特徴的です。平安時代から鎌倉時代にいたる世情不安の中、浄土教は流行していきました。法然の...続きを読む

八宗兼学

八宗兼学とは、八宗の教義を全て勉強していることで、物事を良く知っている様子を表す言葉でもあります。仏教には八宗があります。倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗の八つです。南都六宗に平安時代に伝わった天台宗と真言宗を加えた八宗です。広くさまざまな教学を学び、身に付けることが、学僧にとっては理想だとされていました。続きを読む

阿弥陀堂

阿弥陀堂とは、阿弥陀如来をご本尊として祀っているお堂や、阿弥陀如来を祭ったお堂を持つ院のことを言います。日本にも有名な阿弥陀堂が数多く残されており、東大寺阿弥陀堂のように、阿弥陀堂と呼ばれるもの以外に、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂も阿弥陀堂の一つです。日本の主な阿弥陀堂・東大寺阿弥陀堂(奈良県)・法華寺阿弥陀浄土院(奈良県)・延暦寺常...続きを読む

頭陀行

頭陀行とは、仏教などの古代インド宗教において、出家者が行う修行のひとつです。信者の家をまわり、生活に必要な食べ物などを乞い、信者に功徳を積ませるための修行です。簡素で清貧な修行によって煩悩を減らすことが目的とされています。頭陀というのは、衣食住に対する欲望を払い去って仏道を求めることや、そのための修行のことを指す言葉で、具体的には托...続きを読む

大仏

大仏とは、巨大な仏像を表す言葉です。仏像の基本寸法は丈六(じょうろく)といわれ、一丈六尺(約4.85m)の整数倍、または整数分の一で造られることが多く、立像で高さが一丈六尺(約4.85m)よりも大きなものを大仏と呼ぶことが多いです。この大きさの基準は、釈迦の身長が一丈六尺(約4.85m)だったという説や、仏や菩薩が化身してこの世に現...続きを読む

神仏習合

神仏習合とは、日本に元来あった神様の信仰である神道と、外国からやってきた仏教の信仰がひとつになった宗教の考え方で、奈良時代に始まったものです。日本には元来神様が存在しました。自然の中にも神様がいたり、朝廷にも神様がいました。仏教が伝来したとき、仏教の仏もまた、日本古来の神様の一人として迎えられたという歴史があります。そこで神社に神宮...続きを読む

行基

行基とは、臨済宗の開祖で、奈良時代の僧侶です。百済系の高志氏の出で、百済王家の子孫とする説もあります。法相宗などに学んだ後に、橋を架け、堤防を作り、池を開き、布施による貧民救済などに、集団を作って活躍しました。行基菩薩と慕われ、民衆の支持を集めたため、僧尼令に反すると弾圧されたものの、聖武天皇の帰依を受け、東大寺大仏建立への協力を要...続きを読む

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