仏教界でもあまり公に論じられることのない「住職交代」。
現代の「人の一生」は多様性と選択の自由度の広がりと共に個人化・複雑化が進んでいる。
寺院もこれまでの「家」や「村」文化にはなかった形、例えば終活、介護、イベントなどでのご縁が増え、人と寺院が価値観でつながる時代になりつつある。
僧侶や寺族、地域の記憶で特に不便のなかった寺院と人との関わりも、寺院が記録していく必要性が出てきている。
「ご縁を大切にする寺院」であるために、寺院の住職がどのようにしてその縁の記録を残し、次代に継承していくのか?を僧侶と考える連載。
僧侶紹介
秋田光彦(あきた こうげん)さん
- 大蓮寺・應典院住職
- 寺院所在地:天王寺区下寺町1丁目1-30
- 大蓮寺公式HP
浄土宗大蓮寺・應典院住職。パドマ幼稚園園長。1955年大阪市生まれ。 1997年に塔頭・應典院を再建。2002年に大蓮寺住職に就任。以後20数年にわたってNPO活動やアート活動を支援、「日本一若者が集まるお寺」として知られる。2018年には「お寺の終活プロジェクト」開始。無縁社会における「とむらいのコミュニティづくり」を推進。その拠点「ともいき堂」は、クラウド・ファンディングで資金調達を成功させて完成した。総合幼児教育研究会会長、相愛大学客員教授、アートミーツケア学会理事など教育職も務める。
著書紹介:『葬式をしない寺』(新潮新書)、『今日は泣いて明日は笑いなさい』(メディアファクトリー)、共著に『仏教シネマ』(文春文庫)、『ともに生きる仏教」(ちくま新書)、編著に『生と死をつなぐケアとアート』(生活書院)など多数。
50歳を目前に大蓮寺住職に就任
2021年秋、大蓮寺は住職交代を控えている。まだまだ住職としては現役で通用する60代の秋田住職がなぜ住職交代を決意したのか?まずは2002年秋。当時47歳だった秋田さんが大蓮寺の住職に就任したその経緯から。
住職就任前に設けた個人生前墓「自然」
先代のご住職は2002年当時、まだまだお元気だったようですが、なぜ秋田さんに大蓮寺の住職を交代したいとお考えになったんですか?
父はとにかく(大蓮寺が経営する)幼稚園が
生きがいの人だった。「人生の最後は幼児教育に捧げたいんや」という思いがずっとあった。
僕はすでに應典院の再建を行っていて、父がびっくりしたというか、予想外に應典院が注目されて時代の変化を感じたこともあったんちゃうかなと。
僕の考えとして大蓮寺と應典院の方向性が揃うことが望ましいと考えていたので拝命した。
ただ、やはり住職籍がなくなることが父は寂しかったのか「お前と應典院の住職を交代や」と。笑
僕が大蓮寺の住職就任と入れ替わりで、亡くなるまで父は應典院の住職を務めました。その間、僕自身は應典院主幹でもあったので「大蓮寺と應典院の方向性」が大きくズレるということはなかったと思います。
大蓮寺・應典院の豆知識
秋田住職は入寺以前、映画や編集関係の仕事に従事していた。入寺後、真摯な仏心と才覚で1997年に、ライブラリースペースや劇場型のお堂を設備した應典院を再建。NPO活動や演劇支援など「日本一若者があつまる寺」として一躍、注目の的に。
「葬式仏教」とお寺が揶揄された時代に應典院は「葬式をしない寺」としても有名になった。仏事やお葬式のお布施、檀家制度といった世間のがイメージするお寺の形ではなく、会員による会費・寄付で運営される新たな形を示した。
大蓮寺の住職として就任されて、まずなにから始められたんですか?
そうですね。生前個人墓「自然(じねん)」を大蓮寺の「寺業」として住職に就任する前の2002年の春に完成させていたことですかね。
当時すでに
少子化の影響で「自分が元気なうちはええけど将来どうしたら・・・」と
お墓の継承について悩んでいる
檀家さんの声があったんです。
ご住職になる前にすでに大蓮寺で永代供養墓を建墓されたんですか!
父の世代では、永代供養墓といえば「無縁さん」と呼ばれた身寄りがない可愛そうな方が入るところ、といった偏見があった。
だから当時、永代供養墓はキワモノだと思われていたけど、「改葬(
墓じまい)」について考えた時に、これからの時代に求められる
弔いの形として必要になると思った。
應典院の再建前後に(認定NPO法人エンディングセンターの)井上治代さんらと交流していたこともあり、新しいお墓の必要性を感じていたし、全国の先行例を視察したうえで永代供養墓を設けました。
就任前の半年で手応えもあったし、「ご縁が広がる」と確信をもって「新生大蓮寺」の最初の寺業として取り組みました。まぁ、当時はまだ珍しくメディアの報道も相次いで、予想以上に反響がありました。
20年務めてようやく檀信徒さんに「うちの住職」と認められた
お父様から大蓮寺のご住職を引き継がれて感じた課題はありましたか?
新たな住職としてですか・・・。そうですね、やはり副住職と住職とは全然ちがう。天と地ほどの違いがある。
今年で住職18年になりますが、最近ようやく檀
信徒さんに認めていただいているな、と感じられるようになった。
それは檀家さんとの信頼関係において顕著。父が存命だったこともありましたけど、最初の4、5年はどのようにして檀信徒さんと親密な関係性を築き上げていけるのか?と模索ばっかりでした。
最近ですか!?お寺と檀信徒との信頼関係が大切とはよく言われますがそんなにすぐできるものじゃないんですね。
大蓮寺には應典院と付設の幼稚園もあるので、僕は應典院の主幹と幼稚園や幼児教育の研究会のスタッフもしながら大蓮寺の住職も兼ねていた。
だからさすがに
月参りは
役僧さんにお願いするしかなかった。
ただ、
葬儀や法事(当時年間100件ほど)の
導師は全部自分が務めた。副住職時代も手伝いはしていたがあくまで補佐役。
葬式や法事を全部自分が行うとなると、時間配分もすっかり変わって大変ではありましたけど、檀家さんとの信頼関係は格段に変わった。
顔を合わせて法務を行うとそんなに変わるものですか。
そうですね、責任感が違います。「我が家の先祖を供養してくれるうちの和尚さんや」と慕ってくれるようになった。
どんなにメディアで目立っても、やっぱり「うちの和尚さんや」と思っていただけるのは、日頃のお勤めを通してだ。ということがはっきりわかった。
なるほど~。当時檀家さんも新しい住職ということもあって手探りだったんでしょうね。
まぁ、当時にすれば「イベント」も「永代供養墓」もお寺としては変わったことをしてましたからね。才ばかりが目立つが、きちんと供養してくれるんやろか?と心配されたんやと思います。
日頃の法務を通して檀家さんと向き合って、ようやく認めて頂いたんではないかなと思います。時間をかけてね。
住職交代を決意した理由
2021年秋、秋田住職は副住職に大蓮寺住職を交代予定。その真意とは?
まだまだご住職としてはお若い60代。なぜ今回、副住職との住職交代を決意されたんでしょうか?
50歳手前から約20年住職を務めて感じたことは、供養を軸にして檀家さんと信頼関係を作っていくにはもっと分厚い関係が必要だと分かった。
僕はだいぶ寄り道をしていますから。それが自身の特徴でもあるが、次の代が供養を通して信頼関係を構築していくにはやはり経験という時間がかかる。
早いうちから、若いうちから住職として檀信徒さんとの信頼関係を築いていってもらうために住職交代を決めました。
あと僕もそうでしたが、住職にならなければ、本人も本気にならんのよね。副住職のときは「参加しているだけ」という意識になりやすい。夜中に突然「今しがたうちの主人が・・・」と葬儀の電話がかかってきたりしながら、住職の自覚を持てるようになる。
副住職はそのお話をされた時にどのような反応を?
二つ返事でしたね。彼はお寺に対して非常に意欲をもっている。
仏教について熱心に勉強しているし、法務について能力は高いと思います。
副住職もご決断がすごいですね!あとは・・・檀家さんにはもうご説明を?
2年前の総代会で発表しましたね。ただ、しばらくはダブル住職。僕がいきなり遠くへ行って隠居する、ということもないので引き継ぎ期間を設けるとは伝えてありますから、特に異論もなかったですね。まだ本気にしていないだけかもしれませんが。笑
住職交代に向けての不安に思うこと
来年の秋ということであっという間だとおもいます。今感じられている懸念はありますか?
僕自身のことが心配。笑
任せきることができないで、あれこれ口出しが始まって、新しい住職が名前だけの住職になってしまうのはありがちな話。
でも若い住職に対し、指導やサポートは必要です。そこのバランスが崩れると、張り合ったり、やる気を損ねたりする。加減が難しいですね。
そうならないように、自分がどういう立ち位置になろうかと目下の課題ですね。
秋田さんならまた新たなこれまでにない引退後の役割を新しく作ってしまいそうですよね。笑
葬儀や法要などの法務はすこしづつ分担されているんですか?例えば今年の
お盆の
棚経はどのように?
そうですね。
僕が元気なうちに、大事なことは伝えておきたいとは思っているけど、副住職が大学の博士課程に行ってることもあって少しずつ担当してもらっています。
でも、僕が事故に遭うと局面が一変する。だから早いに越したことはない。全部は無理でもできるかぎりのことをしておきたいと思っています。
住職交代の課題、お寺の記憶と記録
大蓮寺が終活プロジェクトの開始と共に新たに設けた「ともいき堂」や永代供養墓、そしてこの10月からスタートする看仏連携。檀信徒だけではなく、縁ある人、1人1人に向き合う時間も量も増えることが予想されるがその継承をどのように行うのがいいのか秋田住職と語らいました。
お寺との関わり方が「家」単位と「個人」単位が混在していく
檀信徒のありかたも、昔のように家という単位だけではなく、個人単位でご縁をいただくことになる。
2年前に新設した永代供養墓、「縁」や「共念」がどのように広がっていくかにもよるが、どんどんお寺と個人がつながる流れは加速すると思います。
家が100世帯と考えるのか、家族合わせて500人と考えるのかで、引き継いでいく記録も変わってくる。
本当にそう思います。いまは家族でもさまざまな形がありますし、私たちせいざん株式会社が運営支援している
納骨堂、実相寺青山霊廟でも個人単位で情報を管理する必要性を感じて記録と共有の方法を模索してきました。
コロナウイルス感染症でも動じない檀信徒との関わり方
コロナウイルス感染症によってお寺業界でもさまざまな議論がかわされました。
また、私が知っている範囲だとコロナウイルス感染症で法要や葬儀が激減して慌てふためく寺院とまったく動じていない寺院に別れました。
普段から檀信徒と信頼関係を作る努力をされているお寺であれば、檀家が200件程度の寺院でもお塔婆がいつも以上にお彼岸にしっかりあがって大きな影響がなかった事例も聞こえてきました。
そうですね。知り合いの僧侶から「お参りが減った」「法要が減った」という声も聞きましたが、有り難いことに大蓮寺はそうでもなくほぼ通常通りでした。
ただ緊急事態宣言時など外出できない間は時間ができたので、お一人暮らしの方に手書きでお手紙を書いてみたり、マスクをお寺から郵送したり、病魔払いのお香をお送りしたり、会えない分、できることをさせていただいただけですが。
今さらっと「お一人様全員にお手紙を」とおっしゃいましたがすぐにお一人様の顔が浮かぶというか、管理できていることがまずすごいですよね。
お寺によっては檀信徒さんとの関係がそこまで構築できておらず、家族構成や事情がよくわからないという寺院も珍しくないとおもいます。
まあ、月参りや棚経でお家にも行きますからね。僕は性分なので、檀家さんの家に行けばその時、お話した内容を簡単にでもメモにしている。
孫が生まれたとか、病気をしたとかね。そうすると次の会話にもつながるし、どんどん身近になっていく。
あとは、そんな高価なものではないですが、この棚経では、赤紺2種類のエコバックを持って行って、プレゼントします。「どれにしよ!」と檀家さんが喜んでくれます。
息子さんがいるお寺だったら「カレー寺」のレトルトカレー持っていってみたりね。男の人はカレーが好きだから喜んでくれますよ。笑
さすが秋田ご住職ですね。きめ細かい。月参りといえば私は祖母がお盆に載せたお茶とお菓子をご住職さんが空にして帰るイメージしかないのでご住職が気にかけてくださる。というのが人と人の付き合いとして気持ちが嬉しいと思います。
以前は本山や教団がつくった施本(仏の教えについて書かれている冊子)を配ったりしていましたが、バリエーションもないし、独自性もない。何か喜んでいただけることをしようと思って始めただけですけどね。
そういった日々のご住職の細やかな気配りと法務で積み重ねてきた分厚い信頼関係があるから、緊急時にも動じることがないんですね。
お寺の記録を次の住職へどう引き継ぐか
私たちが運営支援している青山霊廟でも1人1人の檀信徒さんや縁ある方と向き合って心を寄せていくことが本当に大切だと感じています。
その結果、10年かけてですが住職が驚くほど法要が増えて、葬儀や生前
戒名の希望も増えています。
一方で、個人と寺院のつながりになっていくと地域や家族単位で補ってきたコミュニティがないので、かなりの情報量とお寺の記憶を副住職に継承するには紙の台帳と住職や奥様の記憶に頼るには限界があるのでは?と不安に思うこともあります。
そうですね。若い副住職にすべての檀家さんのお戒名を把握せよといっても限界ありますしね。管理方法をちょうど見直しています。
今までは恥ずかしながらデータ化できておらず紙の台帳一本でしたが、今後はクラウドサービスを使っていこうかと。
まぁ、イノベーションが早すぎてどんどん管理ソフトも新しいものが出て来るので、正直、現場が追いつかないというか、気が進まなかった側面もありますが。
そうですよね。せっかく導入してもシステムが時代に合わなくて不便さを感じると乗り換えるのも面倒ですし。
実相寺青山霊廟でも管理ツールを選定してカスタマイズして約200世帯以上、人数にして約600名分の名簿とかなり細かいやりとりの履歴を管理していましたがやはり限界がきて、ついに理想の管理体制ができるように自分たちでクラウド管理「寺務台帳」を作ってしまいました。笑
納骨堂には33回年お預かりして合祀する契約や、生前に葬儀や
納骨の相談も含めて託されている契約もあります。これによって、お寺の記憶も記録も保管して次の代が困らないようにしていきたいとおもっています。
そうなんですね。ただ、「記憶」と「記録」は違いますからね。残すべき記録は残して継承することは必要だとおもいます。
一方で、この住職だから話してくれた、という記憶までデータ化するのは憚る。プレイベートな相談や悩みが多いので、なんでも記録化すればいいというわけではないですね。そこは気をつけていきたいですね。
ああ、たしかにそうですね。住職だから話したある種の秘密をお寺のみんなに知られていた。というのはいい気持ちにならないですものね。勉強になります。
あくまでも引き継ぎが必要な約束や心配事を主として記録していくことで、寺院と檀信徒との関わりの維持につながっていけばいいなとおもいます。
あと寺族との関係ね。
家族と寺族と職員の違いというか。應典院は、職員を雇用しているので、事業計画とか決算とかきちんとやる習性ができているんですね。結構マネジメントやってきたという自覚がある。
今は、若い世代には「お寺のマネジメント」は普及した感じがするが、僕が住職になった頃がまだまだそんな考え方はなかった。すべては住職と寺族が担うという感じですね。
寺族ってありがたいと思う反面、難しいところもある。
家族だからこそ気を遣うというかね。30代の子どもに「ごめん、ちょっとこれお願いできる?」ってお伺いたててみたり。笑
それもすごく共感します。笑
私たちせいざん株式会社も毎日お寺の中でお仕事させていただいてますが、庫裡と廊下1本でつながっているので奥様がなにか困っていたり、副住職が考えていそうであればあえて私たちから住職に伝えてみたり、その逆もあったり。
ずっと「寺」という空間で家族が一緒にいるからこそ適切な距離感を保つ大切さがあるなと。
そうですね。大蓮寺にも終活プロジェクトを運営してくれている職員がいてくれて、助かっている。
お寺は身内で構成されやすい空間だから、内と外のバッファというかね、よくわかった第三者の存在は必要なことだと実感しています。
別に雇用しなくたって、お寺にシンパシーのある地域の人やNPOのスタッフでもいいわけで、大事なことは、住職と寺族だけで閉じないということやね。
そういう時に、まず第三者と共有するものは、記録でしょうね。数字だけの記録じゃなく、ヒストリーというか、 お寺の生き様みたいなものが引き継がれていくことが一番大事かと思います。
家族だからこそ言いにくい、伝えたつもりが伝わってなかった。というのはお寺に関わらずあることですよね。
ただ、公の器としての寺院にはいろんな方から託された約束を守っていくために記録する必要性があるので今後、各お寺が記録の共有の方法も模索していくところかもしれませんね。
取材後記
「日本一若者があつまる」と評された應典院。結縁の寺「大蓮寺」としてお寺の終活プロジェクトの推進。
どれをとっても常に秋田住職とお寺のみなさんが「仏教はどうあるべきなのか」「僧侶はどうあるべきなのか」「天王寺区というローカルな地では何が課題なのか」と大局を見て、社会的資源としての寺院を模索されているように筆者の目には映る。
常に現在と未来の本質を見つめて活動してきた大蓮寺と應典院の住職を兼務している秋田光彦氏が住職交代を考えている。と聞いたときは驚きとどこか寂しさを感じた。
基本的に住職に定年退職制度は存在しない。
当代の住職が次の住職を指名して存命のうちに引き継ぐか、住職の病気や死を機に副住職などが後を継ぐ。
70代、80代まで住職を務める僧侶も珍しくない中でまだ60代の彼が一体なぜ住職交代を考えているのか?
きっと何か秋田住職ならではの先見の明と深い思慮があるはず。
そう思って取材を申し込んだが、やはり「次の時代のこと」を思考した結果の決断だった。
檀信徒と終活プロジェクトで縁を得た新たなつながりをどのように継承していくのか?
今も尚、これからのお寺のあり方を模索し、行動しているその姿がやはり、秋田光彦住職なのだなと感じた取材だった。
【聞き手・筆者】池邊文香(いけべあやか)
せいざん株式会社取締役。葬儀・お墓相談経験8000件以上。エンディングコンシェルジュ。毎日新聞主催シニアライフカウンセラー養成講座講師。enpark編集部。
せいざん株式会社
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