「苦しみ・悲しみ」に効く、仏教の言葉 「中野東禅選集」第1巻

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中野東禅集第一巻

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なぜこんなことに。

どうして自分だけが。

どうしてあの人が。

苦しみや悲しみは、突然何の前触れもなくやってきて私達を揺さぶります。

生きていく苦しみと悲しみ

2020年12月時点では、コロナウイルス感染症によって世界はもちろん、日本中が「当たり前の日常」がはるか遠くのことのように感じられるようになってしまい、例年よりも多くの方が戸惑いや悩みを抱えていることと思います。

不安や疑心から「苦しみ」や「悲しみ」が襲いかかり、足元が崩れていくような感覚に陥った時、人はどうすればいいのでしょうか。

人類の永遠の課題とも言われている「苦しみ・悲しみ」についてNHK番組「100分de名著」の解説もお務めになった曹洞宗僧侶、中野東禅氏の法話を紐解きながら考えていきます。

僧侶の紹介

中野東禅(なかのとうぜん)

中野東禅

  • 曹洞宗僧侶
  • 曹洞宗教化研究所講師、主事
  • 南無の会副総務

1939 年静岡県生まれ。駒沢大学大学院 修士課程修了。駒沢大学講師、大正大学講師、武蔵野大学講師。「医療と宗教を考える会」世話人などを務める。可睡斎僧堂西堂。

中野東禅全集
中野東禅全集

【第1巻】中野東禅選集【仏教の生命問題−1】(同朋舎新書出版)

現代に応える【中野教化学】の集大成!

深い教養と豊かな感性で世相を捉え、いのちの大切さと正し い世の在り方を説き、進むべき座標軸を発信し続けてきた清貧の禅僧。平成の遺偈。

なぜ「苦しみ・悲しみ」があるの?

苦しみと悲しみについて考える時、2000年以上の叡智が詰まった「仏教」の視点に立てば、「四苦八苦」と言われる有名な人生の苦しみが思い浮かびます。

四苦八苦とは・・・

「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」の4つと、以下の4つを合わせた人生で起こりうる苦しみを表しています。

  • 愛別離苦(あいべつりく)愛するものと別れる苦>
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)怨み憎まねばならないものと会う苦>
  • 求不得苦(ぐふとっく)求めて得られない苦>
  • 五蘊盛苦(ごうんじょうく)総じて人間の活動による苦>
生老病死
四苦八苦とは?

なぜ、人は苦しむのでしょうか?
中野東禅選集第一巻によれば

「自己中が状況を苦と悲しみにする」

と示されています。

苦や悲しみが生起している時、「自己の感情や、自己保全本能や、自尊心」などの自己中心的な心が、物事と必要以上に対立してしまうのです。仏教では、「苦」とは意思に逆らうことに解釈します。その意思が自己中になるのです。

***中略***

つまり、物事は"大きな力"に一方的に左右されているのではなく、中心にいる自己の責任と主体性が問われているのですよ、というのが仏教の視点です。(「中野東禅選集」第1巻より引用)

苦しみや悲しみを感じる時、「どうして自分がこんなめに」と被害者めいた意識になりがちではないでしょうか。

本当に苦しく、悲しいほどその感情以外に何も考えられなくなり、自暴自棄になったり、周囲に当たり散らしてみたり、現実逃避をしたくなるのも無理はありません。

しかし、中野東禅氏の言葉にあるように仏教の視点に立てば苦しみ・悲しみは自分自身の「プライド」や「見栄」、「自分は優れた人間である」「他の人と比較して安心したい」などといった感情や、自己保全本能、自尊心から生まれてくるものだと捉えることができます。

自分が苦しい・悲しいと思った時、「そもそもなぜこんなにも悲しいのか」「そもそもなぜこんなにも苦しいのか」と自分と対話することでその原因に気づき、気づいたら今度はその原因となる価値観をどのように変容させていくのか?

その繰り返しによって、「悪いもの」と捉えられがちな苦しみや悲しみが自身を成長させる現象に変わっていきます。

中野東禅氏も書籍の中で大きな悲しみに出会った際のことをこう記しています。

筆者の家内が突然死した時、「なぜだ、なぜ死んだ」という思いでいっぱいでした。

***中略***

「なぜ死んだ、という思いでいっぱいでしたが気がついたら家内自身が"なぜだ"と思っているに違いないと気がついたのです。それでなぜと問うことは家内を苦しめることになるので、そう問うことはやめようと思う」

***中略***

親鸞さんは「喜び、悲しみのとき、私の眼線を思い出しつつ喜び悲しみなさい」というのです。

被害者意識に囚われているとき、大きな仏の眼線、お祖師様の眼線から見られるようになったら、悲しみ苦しみが、違う視点から見えてくると思うのです。(「中野東禅選集」第1巻より引用)
中野東禅1巻悲しみ

「今ここにいる自分」と現実世界だけを考えればとても苦しく、耐えられそうにもない出来事も視点を変えて「神仏」や「先祖」や「師匠」、もう会えなくなってしまった「大切な人」の想いを想像することで「悲しい」「苦しい」一色だった世界が異なって見えてくるという考え方です。

例えば、あなたの大切な人が亡くなってしまったとします。

「なぜだ、なぜ死んだ」「なぜ自分や家族がこんなめに」「病気が悪い」「あの時のあの人の言葉が悪い」とどんどん苦しみや悲しみを助長する思考に「絶対に自分はならない」と言いきることができるでしょうか。

そしてそうなった時にどのように健全な精神に自分を引き戻すことができるでしょうか。

そんな時に、自分とは異なる視点に立つことでこんなことが考えられます。

「こんな風に思っている自分をあの人が見たらどう思うだろう」「あの人のほうが無念だったのではないか」「憎みや悲しみで心をいっぱいにした自分を心配するのではないだろうか」などと自分以外の人の視点に立つことで心が鎮まっていくことでしょう。

むしろ、苦しみ悲しみによって「よりよく生きる」ことや「自分自身の本当の願い」や「自分自身の新たな一面」を知ることにも繋がるかもしれません。また、同じような苦しみや悲しみを抱える人に寄り添うこともできるでしょう。

そうした苦しみ・悲しみを乗り越えるというよりは受け入れるまでのサイクルを通じて人として成長していくことができる。という考え方を仏教からは学びとることができます。

仏足跡
釈迦の足跡

中野東禅選集に見る仏教の癒し言葉

生きるとか死ぬとかいうけれど、死ぬというのは最後までどうやって生きて修行を続けるかということです。

家族は介護を通してそれぞれ生きる修行を行っているのです。もちろんきれいごとではありません。

問題は汚いことをやりながらどうやって人間的に成長するかです。これが「生きること死ぬこと」に対するとりあえずの今日の結論です。(「中野東禅選集」第1巻より引用)

中野東禅選集第一巻の最後に収録されている言葉です。

この書籍では、まさに「生きること死ぬこと」に伴って生まれる「苦しみ・悲しみ」をより個別具体的に取り上げ、中野東禅氏のやさしい話し言葉で仏教の視点による捉え方のヒントが散りばめられています。

【第1巻】中野東禅選集【仏教の生命問題−1】-目次紹介

  • 悲しみを癒やす仏教の言葉
  • はじめに 苦と悲しみの深層を考える
  • 一 「生きる」ことに伴う苦と悲しみ〔愛別離苦〕
  • 二 愛・憎のねじれは共同体と互縁が見えないから 「生きる」ことに伴う苦しみ〔怨憎会苦〕
  • 三 欲しいのに得られない苦悩〔求不得苦〕
  • 四 心と肉体の活気が己を苦しめる〔五蘊盛苦〕
  • 五 「老い」は心を深くする〔老苦〕
  • 六 「病い」は人間を深める〔病苦〕
  • 七  死から学ぶ人生の深み〔死苦〕
  • 八  悲しみと祈りに残るものの役割がある
  • 「人間学」としてのブッダの智 ブッダが説く「生き方」の物差しー迷いをこえる教えー
  • 一 自己の座標軸を確かめる
  • 死別悲観の癒やし方
  • 病と死に向き合うー傑僧説法ー
  • 「デス・エデュケーション」による自己発見の教授は可能である
  • 生きること死ぬこと(南無の会辻説法)
  • 一 「私って何?」
  • 二 生死は仏のいのち
  • 三 老いの生き方
  • 四 死の前をどう生きるか
  • 悲しみを癒やす仏教の言葉
  • 悲しみを癒やす仏教の言葉

355ページに及ぶ重厚感のある書籍でありながら、これだけの内容を分かりやすく、仏教の経典や考え方を元に解説されています。

中野東禅選集第一巻では、そもそも「悲しみや苦しみ」とは何か?、「(がんなどの)病」、「看護」、「老い」といった中年期から更年期になれば自分や家族のこととして避けては通れない苦しみや悲しみをどのように捉えていけばいいのか?を学ぶことができます。

中野東禅氏の体験や実際に出会った人との会話といったエピソードと仏教経典を織り交ぜながら紹介されていくので気になった目次タイトルのページから読み進めるのもいいかもしれませんね。

人間学としてのブッダの智

高齢化社会と経済的、社会的不安と世界的な文化の液状化・混沌と重なって「忍耐力の低下」が個人の心の底を蝕んでいるような気がしているのです。「忍」とは、動揺しないという意味です。精神の流動化時代にこそ「落ち着きと動揺しない徳」が見直されるべきです。

***中略***

現代人の「忍耐力の低下」に気が付いた時、「知恩・報恩、忍」などの「徳」の重要性を再考すべきだと思い返して、ここに「迷いを超える教え」として提示する必要を感じた次第です。(「中野東禅選集」第1巻より引用)

筆者、中野東禅氏は自身が高齢であること、妻を亡くして独り身であることから、老後の病気や孤独、介護について考えた時に現代社会に生きる人間の精神が液状化し、「家族」「個人」「生き方のあいまい化」を加速させているのではないかと懸念しています。

「液状化」とは、精神が固定されず、流動的になり、不安定である状態を指しています。

中野東禅1巻不安

精神が不安定であるということは、「不安」や「悲しみ」も感じやすくなりますし、精神的に苦しみを抱える人が増えていくということとも言えます。

確かに、コロナウイルス感染症拡大以前から少しづつ、「モノの豊かさはもう十分なのではないか。それよりも精神的な心の豊かさを見直すべきではないのか」。

そんな声が聞こえてくるようになっていました。
代表的な例としては、Rio+20 地球サミット2012 (国連持続可能な開発会議)でのウルグアイの元大統領「ホセ・ムヒカ」氏のスピーチです。

彼は「世界一貧しい大統領」としても有名で、多くの書籍やテレビ番組、映画でも取り上げられました。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

***中略***

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。

毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

このスピーチは、超消費社会になった代わりに過剰な生産が求められ、労働時間が伸び、苛烈な市場競争が起こった結果、人々は生活から余裕を失い、何が自分の人生にとって大切なことなのか?を見失わせている。
といった示唆に富んだ内容で、世界中で評価されました。

私達は、こういった考え方が素晴らしいと感じることができる一方で、自分の目の前の生活になると愛と微笑みを忘れ、悲しみや苦しみを持て余すことも珍しくない現実を生きています。

中野東禅第1巻笑顔

では、どうすればいいのでしょうか。

そう悩んだ時に、仏教の祖であるブッダの残した教えが生きる智慧となると中野東禅氏は言います。

書籍の「自己の座標軸を確かめる」の章ではブッダの教えを現代語訳と具体的な言い換えによって優しく示されています。

ブッダ
  • 根源の心がワクワクする道に出会ったら幸せだ
  • 自己の癖に苦しんだ人は超える道を求める
  • 失敗経験はこだわりを許す力か
  • 感謝は人を柔らかにする
  • 善・悪の自覚は心を強くします
  • あるべきように働く心は真実です

筆者が心にのこった見出しを取り上げてみましたが、この他にもブッダの教えや多くの僧侶の残した書物から全部で16の仏教視点に分けて丁寧に解説されていました。

読み進めていくと、ビジネス書などによく見られるHowTo本のようにAだからBといったような答えを用意しているものではなく「このように考えればいいのか」「こんな考え方もあるのか」「こんな心のもちようであれたら素敵だろうな」と仏教の視点を学びながら、自身の心の整理につながっていくような一冊です。

お家時間にぜひ、あなたの心と照らし合わせながら、ゆっくり読んでみてください。

癒やしの言葉と新たな視点に出会えるかもしれません。

中野東禅全集
中野東禅全集

【第1巻】中野東禅選集【仏教の生命問題−1】(同朋舎新書出版)

現代に応える【中野教化学】の集大成!

深い教養と豊かな感性で世相を捉え、いのちの大切さと正し い世の在り方を説き、進むべき座標軸を発信し続けてきた清貧の禅僧。平成の遺偈。

筆者:エンパーク編集部 池邊文香

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