古希
古希とは70歳のことで、古希祝いは70歳の長寿のお祝いです。中国の詩人・杜甫の詩「人生七十古来稀也(70歳まで生きる人は古来よりまれだった)」に由来しています。本来は「古稀」という字でしたが、今日では長生きしてほしいという希望の気持ちも込めて「古希」という字を用いるようになりました。数え年で祝うとされてきた長寿祝いですが、現代では満...続きを読む
古希とは70歳のことで、古希祝いは70歳の長寿のお祝いです。中国の詩人・杜甫の詩「人生七十古来稀也(70歳まで生きる人は古来よりまれだった)」に由来しています。本来は「古稀」という字でしたが、今日では長生きしてほしいという希望の気持ちも込めて「古希」という字を用いるようになりました。数え年で祝うとされてきた長寿祝いですが、現代では満...続きを読む
落雁は、和菓子の一種です。干菓子の代表的なもので乾燥して水分のないお菓子です。打物とも言われ、木型に入れて抜き固めて作ります。茶席を始め、仏事やお祝いの席のお菓子として使われるものです。米、麦、大豆、ソバの実などを材料にした粉に、水あめや砂糖などで甘味をつけ、着色して型に詰めて乾燥させて作ります。餡や栗などを入れたものもあります。続きを読む
ほおずきは盆花の代表的なもののひとつです。お盆には精霊が迎え火や提灯の灯りを頼りに帰ってくるといわれています。先祖や亡くなった人が迷わずに戻れるよう、ほおずきの花を提灯に見立てて盆棚や仏壇に手向けます。ほおずきは枝付きのものを求め、飾りつけをします。昔は電気もなく、日暮れ時には提灯やロウソクを用いて灯りをとりました。夜道は今よりもず...続きを読む
兵馬俑とは古代中国の副葬品で、兵士と馬の形をした俑です。俑というのは人形のことで、主に死者を埋葬する際に一緒に埋葬した明器のことを言います。俑には死者の臣下や妻妾、ペットなどをかたどったものが多く、陶器、木製、金属製などのさまざまな材質のものが見られます。孔子はこうした俑を死者とともに埋葬する習慣は、殉死につながるとしたことから「俑...続きを読む
修多羅とは、浄土宗などで七条袈裟を着用する際に掛ける組紐のことです。七条袈裟は全体に着丈が長く、左肩から左腕まで覆うように身に着け、右脇の下で前にまわして修多羅の紐で右胸と左肩を結びとめます。修多羅を七条袈裟に結ぶときには、紐に裏表があるので注意します。七条袈裟には2か所で結びます。上は内側でしっかり結び、下は外側で余裕を持たせて結...続きを読む
金剛杵は、仏教の修法に用いる法具で外道悪魔や煩悩を破るとされています。杵のような形をしていて、中央の握る部分が細くなり両端に刃や鋸がついています。刃の形や数などで種類はいろいろあります。真鍮や鋼といった材料を用いて作られます。インドのバジラといわれる武器からきています。雷をかたどったものともされていて、雷霆神インドラの持ち物としても...続きを読む
庚申塔は、60年に一度の庚申の年建立されたもので、主に集落のはずれの村の境目などに置かれていました。道祖神のように村や辻の守り神の役割を果たしていました。江戸時代の初めに建立が広く行われるようになりました。奈良時代に中国から伝来した道教に由来した庚申信仰は日本の信仰と結びついて発展しました。庚申信仰では、人の体内には三尸虫という虫が...続きを読む
七福神とは、大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の7つの神さまを称していう言葉です。福をもたらすとされています。七難即滅、七福即生と言われるように、七福神をお参りすれば、七つの難から逃れるとも言われ、室町時代から庶民に親しまれてきました。続きを読む
鬼神とは、恐ろしく荒々しい神という意味です。善神と悪鬼の双方があり、それぞれが祭祀や祈祓の対象になっています。鬼神は、一般の人には、見えない、聞こえないような超人的な能力を持つ存在として畏れられています。鬼神を鬼と同義に使うこともあります。続きを読む
家系図とは、その一族の代々の系統が書かれたものです。日本の家系図は主に家督相続の継承の系統を表したものです。江戸時代の家系図などの中には、その人物の生没年だけでなく、最高官位、経歴などを書き入れたものもあります。家に付属する財産、所領、職業の継承を特記したものが多く、寺院では僧侶の法脈、血脈、寺院の住持の歴代、学術、武術などの諸芸の...続きを読む
埴輪とは、素焼きの焼き物で、古墳時代に古墳の上に並べて置かれたものです。埴輪は3世紀後半から6世紀後半にかけて作られ、聖域を示すために並べたり、古墳の土が崩れないように置かれたといわれています。埴輪は紐状にした粘土を積み上げて形を作り、中は空洞になっています。埴輪によっては、パーツごとにつくって、粘土で貼り付けて作り上げたものもあり...続きを読む
庫裏とは、仏教寺院の伽藍(寺院の建物)のひとつです。庫裡と書くこともあります。「裏」も「裡」もどちらも内や中という意味があります。寺院の台所であり、居住する場所を意味します。大規模な寺院では、独立した建物になっていて、歴史の古い寺院においては、庫裏の建物が文化財に指定されているものもあります。中小規模の寺院では、建物として独立してい...続きを読む
文殊菩薩とは、大乗仏教の菩薩で、智慧をつかさどる仏とされています。インドに実在した人がモデルとも言われてています。普賢菩薩とともに、釈迦の脇侍になっています。文殊菩薩像は、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に利剣、左手に経典を載せた青蓮華を持っています。密教の文殊菩薩像では、童子形のものも見られます。禅宗では、修行僧の姿をあらわす聖...続きを読む
お経とは、釈迦の教えを口伝で伝えたものを、誰でも読めるようにまとめたものをさします。お経はインドの経典が中国を経由して日本に伝わりました。日本国内のお経の種類は、俗に八万四千などとも言われていますが、正確な数はわかっていません。続きを読む
五山制度は、インドの五精舎が中国南宋に伝わり、禅宗の保護と統制の目的で定めた寺格のひとつです。寺格というのは、寺院の社会的な地位や、宗教的な地位を鑑みて、政府が認めた寺院の格式のことです。日本の五山制度は、一般的には臨済宗の寺格制度になります。鎌倉時代後期に入ると、日本に禅宗が入り、普及するようになりました。1299年、鎌倉幕府執権...続きを読む
円覚寺とは、鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の大本山です。鎌倉五山の中では、第二位になります。本尊は宝冠釈迦如来で、北条時宗が開基しました。円覚寺の名前の由来は、建立の際に大乗経典の円覚経が出土したためと言われています。円覚寺は鎌倉幕府の執権北条時宗が、中国僧の無学祖元を招いて開基し、北条得宗の祈祷寺になり、鎌倉時代を通して、北条氏...続きを読む
建長寺とは、鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の大本山です。鎌倉五山では、第一位の寺格になっています。本尊は地蔵菩薩、北条時頼が開基しました。建長寺の境内と庭園は、国の史跡として指定されています。建長寺の境内がある地域は、古くは「地獄ヶ谷」と呼ばれていて、処刑場があったところです。そこには伽羅陀山心平寺という、地蔵菩薩を本尊とする寺が...続きを読む
鎌倉五山は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗の禅寺で、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つの寺院とその寺格のことです。京都五山に対して言います。中国南宋時代に五山官寺制度があり、それが日本に鎌倉時代に伝わり、北条氏によって導入されました。その後、鎌倉幕府が滅亡すると、鎌倉中心の五山ではなく、京都を中心とした五山が定められました。幕...続きを読む
京都五山とは、京都にある臨済宗の五大寺である南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺のことです。鎌倉五山に対して使われます。中国南宋時代の五山官寺制度で、禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺院を決定したことに由来しています。日本に伝わったのは鎌倉時代で、当初は鎌倉五山が先にありました。京都に五山ができたのは、その後後醍...続きを読む
大黒天とは七福神のひとつで、肩に大きな袋を背負い、右手には内出の小槌を持った姿が有名です。米俵の上に乗って、福々しい姿が印象的です。もともとはサンスクリット語でマハーカーラと呼ばれるインドの神さまです。漢字にすると摩訶迦羅となり、マハーは大、カーラは黒の意味があるので、この名前がつきました。インドでは、ヒンドゥー教の主神であるシヴァ...続きを読む
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地味に忙しい幸運体質の編集人
実務家ファイナンシャルプランナー
ライター・ディレクター
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