「人名」に関連する用語一覧

鑑真

鑑真とは、奈良時代に日本に仏教の教えを正しく広めるため活動した帰化僧です。日本に律宗を開いた開祖です。唐の揚州江陽県の生まれで、14歳で得度し、20歳で長安に入り、翌年から律宗・天台宗を学だといわれています。当時の日本には伝戒師が必要で、聖武天皇は優秀な僧を探していたため、742年に日本から唐に渡った僧・栄叡、普照などに戒律を日本に...続きを読む

ティック・ナット・ハン

ティック・ナット・ハンは、1926年ベトナムのフエ出身で、16歳で得度した禅僧です。ダライ・ラマ14世と並ぶ活動家としても知られています。現在はフランスに亡命し、フランスやアメリカを中心に活動しています。ベトナム戦争中、サイゴンで社会奉仕青年学校を設立し、爆撃を受けた村を再建。仏教の非暴力と慈悲の精神に基づき、学校や医療センターを建...続きを読む

パンチェン・ラマ

パンチェン・ラマとは、チベットの法王ダライ・ラマに次ぐ重要な存在です。ダライ・ラマが観音菩薩の生まれ変わりを信じられているように、パンチェン・ラマは、阿弥陀仏の生まれ変わりとされています。パンチェン・ラマは、偉大な学者という意味のある称号です。当初パンチェン・ラマ9世が中国亡命をしたことを不満としたダライ・ラマ13世との間は、緊張関...続きを読む

ダライ・ラマ

ダライ・ラマとは、チベット仏教ゲルグ派の法王の尊称です。チベットの教化主である、観音菩薩の化身の生まれ変わりで、人々を導くために輪廻を繰り返すとも信じられています。ダライ・ラマには、モンゴル語で「智慧の海」という意味があります。チベットの人々にとって、一生に一度は、ダライ・ラマの居城へ巡礼するのが、目標のようになっているといいます。...続きを読む

隠元

隠元とは、江戸時代前期の僧侶です。黄檗宗の開祖で、明から来日しました。明朝禅を伝え、日本の禅宗に大きな影響を与えました。黄檗宗は、明風の伽羅様式や読経のスタイル、法要様式などが特徴的です。中国福建省の出身の禅宗の僧侶で、1654年、63歳の時に来日し、インゲン豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚などを日本に紹介した人としても知られています。...続きを読む

聖徳太子

聖徳太子とは、飛鳥時代の摂政です。593年に推古天皇が即位したときに、摂政として補佐役となり、政治を助けました。冠位十二階、十七条憲法を設定し、小野妹子を隋へ派遣して国交を開きました。仏教を保護し、法隆寺、四天王寺などの多くの寺院を建立したことでも知られています。馬小屋の前で生まれたという伝説から厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれま...続きを読む

ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世とは、チベット民族の精神的指導者です。1935年チベット東北部の自作農を営む家に生まれ、2歳の時にダライ・ラマ法王13世に認定されました。1951年まではチベット君主をつとめましたが、1959年にインドに亡命して政治難民になりました。現在北インドのダラムサラに住んでいるダライ・ラマ14世は、法的には亡命政権の長とい...続きを読む

蘭渓道隆

蘭渓道隆とは13歳で出家し、1246年に弟子とともに中国から来日した臨済宗の僧侶です。そして1253年に北条時頼によって鎌倉に建立された建長寺に招かれて臨済宗を開きました。日本では最初に鎌倉の寿福寺に入って臨済宗を広め、その後鎌倉の常楽寺で住持となりました。そして建長寺が建立されると臨済宗の開祖として開山しました。蘭渓道隆の日本での...続きを読む

釈迦

釈迦とは、はじめて仏教を作り広めた人で、この世ではじめて悟りを開き、その境地にまで至った人物といわれています。お釈迦様は仏陀(ぶった)と呼ばれることもありますが、本名をゴータマシッダールタといいこの世に現存した人物で、釈迦族の王子としてこの世に生を受けました。しかし世俗の生活に苦悩して若くして出家し、菩提樹の根本で瞑想に耽った末に悟...続きを読む

蓮如

蓮如(1415~1499)とは、室町時代に活躍した浄土真宗の僧侶です。父は本願寺第7世の存如で、後にその跡を継ぎ、本願寺第8世となります。浄土真宗では、蓮如のことを「蓮如上人」と尊称しますが、「本願寺蓮如」と呼ばれることもあります。蓮如が、親鸞の教えを説く切っ掛けとなったのは、実母との生別でした。実母は、6歳の蓮如と別れる際に「親鸞...続きを読む

法然

法然(1133年~1212年)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍し、教えを広めた日本の僧侶です。法然がはじめに触れたのは、大乗仏教の宗派のひとつ「天台宗」で、場所は比叡山でした。修業を積み、比叡山を降りたのは1175年43歳の時で、その後は東山吉水に住居を置き、念仏の教えを広めることに努めました。この1175年が浄土宗の立教開...続きを読む

日蓮

日蓮とは、日蓮宗の開祖で、鎌倉時代の僧侶です。16歳で天台宗清澄寺に出家し、法華経の信仰を説きました。辻説法などにおいて他の宗派を攻撃、論破したとして、伊豆に流刑になり、許されて戻るとさらに他宗派を攻撃したため、佐渡に流されました。赦免後は、身延山で弟子を育成し、61歳で入寂しました。続きを読む

道元

道元とは、日本曹洞宗の開祖で、鎌倉初期の僧侶です。13歳の時に、比叡山に出家し、明全に学び宋に渡りました。天童山で曹洞禅を学んだのち帰国しました。京都に興聖寺を開き越前で大仏寺を開創しました。禅風は修証一如、只管打坐で知られています。道元の教えである修証一如は、成仏は完成するのではなく、成仏の上にも成仏があると求めて、無限の修行を続...続きを読む

道安

道安とは、初期中国仏教の基礎を築いた中国東晋時代の僧侶です。12歳で出家し、仏図澄に学びました。経典の翻訳や、僧団の制定、戒名における「釈」を初めて名乗ったことなど、中国における仏教の発展に大きく貢献しました。漢和仏典の目録作成や、般若経典の研究、解釈を通して、仏教を広めていきました。続きを読む

行基

行基とは、臨済宗の開祖で、奈良時代の僧侶です。百済系の高志氏の出で、百済王家の子孫とする説もあります。法相宗などに学んだ後に、橋を架け、堤防を作り、池を開き、布施による貧民救済などに、集団を作って活躍しました。行基菩薩と慕われ、民衆の支持を集めたため、僧尼令に反すると弾圧されたものの、聖武天皇の帰依を受け、東大寺大仏建立への協力を要...続きを読む

栄西

栄西とは、臨済宗の開祖で、鎌倉初期の僧侶です。比叡山で天台を学んだ栄西は、2度にわたる宋への渡航で、47歳の時に天台山万年寺の虚庵懐敞になり、4年間禅を学びました。臨済禅を日本に伝えたことで知られています。帰国の際に茶の実を持ち帰り、北九州にそれを広めたといわれています。日本にお茶を飲む習慣を広く知らしめました。茶の栽培法だけでなく...続きを読む

空海

空海とは、真言宗の開祖で、平安初期の僧侶です。18歳で官僚を養成する大学へ入学するものの、退学して山林修行を始め、遣唐使の一員として31歳で唐へ留学しました。2年後、書物や仏具を携えて帰国します。帰国後は先に帰国していた最澄との交友が始まるものの、10年後には決裂します。高野山に密教修行の場をつくる許可を嵯峨天皇から得て、高野山金剛...続きを読む

親鸞

親鸞とは、浄土真宗の開祖で、鎌倉初期の僧侶です。9歳で比叡山で天台宗を学んだあと、法然の専修念仏の門に入りました。のちの念仏停止において法然は四国へ、親鸞は越後に流罪になりました。4年後に赦免されてからは、関東地区で布教し、60歳ごろに京都に戻りました。90歳で亡くなるまで、著述や門弟の指導に努めたといいます。続きを読む

最澄

最澄とは、平安時代の僧侶です。日本天台宗の開祖で、俗名を三津首広野といいます。近江国、現在の滋賀県に生まれ、14歳で得度し、最澄と名前を改めました。奈良時代から続く官寺仏教に疑問を抱き、比叡山で修行しました。延暦23年、空海とともに唐へ渡り、翌年に帰国して日本天台宗を開創しました。続きを読む

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