「臨済宗」の検索結果

臨済宗の用語

曹洞宗

曹洞宗は、禅宗の一つです。鎌倉時代に道元が中国から日本へ伝えました。本山は、福井県の永平寺と横浜市の総持寺です。坐禅を修行の中心に据え、只管打坐というただひたすらに坐禅を行うことを、最も重視します。即心是仏という、坐禅の状態で日常生活を生きていくことを説きます。禅戒一如とも言い、坐禅で学んだことが、生活に現れるという考えからです。南...続きを読む

禅宗

禅宗とは、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗に代表される座禅を用いた修行を行う仏教の宗派です。全ての人には、内面に仏性があり、それを再発見するためには座禅の修行を行い、仏教における心理を体験をもって知るとされています。インドに始まった禅を6世紀の前半に達磨が中国へ伝えて発展させました。日本では鎌倉時代の初期に栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、江戸時代...続きを読む

臨済宗

臨済宗は、禅宗のひとつです。中国禅宗の五家七宗の一つが、鎌倉時代に明庵栄西が日本に伝えました。看話禅は、師匠が出す公案という問題を、弟子が、体全体で答えを見出す中で、理論を超えた真実を探すというものです。また、師匠と二人きりで対面し、弟子が提示した結果を、師匠が検証する参禅を行うことで、体得しました。浄土宗、浄土真宗の念仏を唱えて極...続きを読む

施餓鬼

施餓鬼とは、お盆の時期に行われることが多い仏教行事の一つです。餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものを指します。施餓鬼とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物などの供物を施すことで餓鬼の供養を行う法要行事です。施餓鬼法要のお供え物...続きを読む

警策

警策とは、坐禅を行う時に、修行者の肩や背中を打つ棒のことです。臨済宗では「けいさく」曹洞宗では「きょうさく」と読みます。警策の長さは宗派によってさまざまです。警策は樫木や栗の木でできていて、持ち手が円柱状で、先端部分は平たい形をしています。坐禅において警策が始まったのは、江戸時代になってからです。坐禅に参加すると、直日(じきじつ)、...続きを読む

五山制度

五山制度は、インドの五精舎が中国南宋に伝わり、禅宗の保護と統制の目的で定めた寺格のひとつです。寺格というのは、寺院の社会的な地位や、宗教的な地位を鑑みて、政府が認めた寺院の格式のことです。日本の五山制度は、一般的には臨済宗の寺格制度になります。鎌倉時代後期に入ると、日本に禅宗が入り、普及するようになりました。1299年、鎌倉幕府執権...続きを読む

建長寺

建長寺とは、鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の大本山です。鎌倉五山では、第一位の寺格になっています。本尊は地蔵菩薩、北条時頼が開基しました。建長寺の境内と庭園は、国の史跡として指定されています。建長寺の境内がある地域は、古くは「地獄ヶ谷」と呼ばれていて、処刑場があったところです。そこには伽羅陀山心平寺という、地蔵菩薩を本尊とする寺が...続きを読む

円覚寺

円覚寺とは、鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の大本山です。鎌倉五山の中では、第二位になります。本尊は宝冠釈迦如来で、北条時宗が開基しました。円覚寺の名前の由来は、建立の際に大乗経典の円覚経が出土したためと言われています。円覚寺は鎌倉幕府の執権北条時宗が、中国僧の無学祖元を招いて開基し、北条得宗の祈祷寺になり、鎌倉時代を通して、北条氏...続きを読む

鎌倉五山

鎌倉五山は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗の禅寺で、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つの寺院とその寺格のことです。京都五山に対して言います。中国南宋時代に五山官寺制度があり、それが日本に鎌倉時代に伝わり、北条氏によって導入されました。その後、鎌倉幕府が滅亡すると、鎌倉中心の五山ではなく、京都を中心とした五山が定められました。幕...続きを読む

相国寺

相国寺とは、京都市上京区にある臨済宗相国寺派の大本山です。本尊は釈迦如来、足利義満が開基しています。足利将軍家や、伏見宮家、桂宮家にゆかりの深い禅寺です。京都五山の中では、第二位にあたる寺院です。相国寺は五山文学の中心地として知られ、画僧の周文、雪舟は相国寺の僧です。京都と言えば観光名所は金閣寺、銀閣寺を思い浮かべますが、双方とも相...続きを読む

天龍寺

天龍寺とは、京都市右京区嵯峨天龍寺にある臨済宗天龍寺派の大本山です。本山は釈迦如来、足利尊氏が開基しました。足利将軍家と桓武天皇にゆかりが深い禅寺で、京都五山の第一位の寺院です。天龍寺のある場所は、平安時代に嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開いた檀林寺があったところで、その後、後嵯峨天皇と皇子の亀山天皇が離宮を建て、亀山殿と名付けました。足...続きを読む

南禅寺

南禅寺は、京都市左京区南禅寺にある臨済宗南禅寺派の大本山です。本尊は釈迦如来、開基は亀山法皇です。日本で最初の勅願禅寺です。勅願寺というのは、当時の天皇、上皇が国家鎮護、皇室繁栄などを祈願する目的で建てる祈願寺のことで、寺格のひとつです。南禅寺は京都五山、鎌倉五山の上の寺格で、格別扱いになっています。つまり、国内における禅寺の中では...続きを読む

京都五山

京都五山とは、京都にある臨済宗の五大寺である南禅寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺のことです。鎌倉五山に対して使われます。中国南宋時代の五山官寺制度で、禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺院を決定したことに由来しています。日本に伝わったのは鎌倉時代で、当初は鎌倉五山が先にありました。京都に五山ができたのは、その後後醍...続きを読む

南無釈迦牟尼仏

南無釈迦牟尼仏とは、釈迦牟尼仏に帰依しますという意味です。天台宗の宝号や曹洞宗の本唄名に使われています。釈迦牟尼仏は、お釈迦さまのことです。釈迦族の牟尼(聖者)という意味です。南無は『すべてお任せします』という意味です。仏壇の中心も釈迦牟尼仏を本尊としてまつります。曹洞宗では、われわれは皆仏の子であり、生まれながらに物心を持っている...続きを読む

般若心経

般若心経とは、正式に般若波羅蜜多心経と言います。サンスクリット語の原典では、タイトル名はないのですが、最後の言葉に「経」をつけることで、タイトルになりました。曹洞宗、臨済宗などを始め、多くの仏教で広く読まれ、仏教の基本とも言える経典になっています。般若心経は紀元前後にはすでに原型があり、12世紀には完成したといいます。般若心経は一つ...続きを読む

大姉

大姉とは、女性の戒名の最後につく語で、男性でいう居士にあたります。居士は、大士とも言われるため、大士に対して大姉となったとも言われています。戒名の位としては、信女の上にあたり、在家信者の女性につけられるといわれる称号です。続きを読む

如来

如来とは悟りを開いた人のことをさした言葉です。人間も悟りを開けば如来になれると信じられているのです。現在で、如来といえばまず「釈迦如来」を思い浮かべる方も多いと思います。悟りを開く直前の修行中の人を「菩薩」と呼び、悟りを完全に開いた人を「如来」と呼びます。如来とは特定の固有名詞のようなイメージがありますがそうではなく、真の悟りを開い...続きを読む

鎌倉仏教

鎌倉仏教とは、鎌倉時代に興隆した仏教です。平安後期から鎌倉時代にかけて、日本は戦乱の世にあり、社会不安の中で人々は心のよりどころを求めました。武士や庶民にはそれまでの仏教は難解で、共感しにくいものでした。鎌倉仏教は、民衆中心で実践方法はシンプル、政治権力に対して自立しているなどの特徴的があります。現代に続く宗派の中で、鎌倉時代に誕生...続きを読む

蘭渓道隆

蘭渓道隆とは13歳で出家し、1246年に弟子とともに中国から来日した臨済宗の僧侶です。そして1253年に北条時頼によって鎌倉に建立された建長寺に招かれて臨済宗を開きました。日本では最初に鎌倉の寿福寺に入って臨済宗を広め、その後鎌倉の常楽寺で住持となりました。そして建長寺が建立されると臨済宗の開祖として開山しました。蘭渓道隆の日本での...続きを読む

萬福寺

黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)は京都の宇治市にあり黄檗宗の大本山です。日本には数多くの仏教の宗派がありますが、その中でも一番遅れて開宗したと言われている釈迦如来を本尊とする禅宗のお寺です。日本のお寺は、宗派の違いがあっても同じような雰囲気を持っていますが、萬福寺はその建物や仏像・精進料理に至るまで、中国色が強いことが特徴で、...続きを読む

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