納骨堂のLINE見学予約受付中!動画解説付き【東京都港区の納骨堂/青山霊廟】
「ずっと家にいて終活が進まない」 「そろそろ納骨したいのに見学ができない」 そんなお悩みを少しでも解決すべく、青山霊廟(東京都港区北青山2-12-9・外苑前徒歩2...
お寺を訪れた時、空気まで透き通っているような「清々しさ」、身も心も引き締まるような「凛とした佇まい」、なんとも言えない「清涼感」を感じたことはありませんか?
長い年月をかけ、磨きに磨きを重ね、うっすら光を放っているかのような廊下や塵ひとつ落ちていない畳を目にします。
お寺で感じる清々しい清涼感は、どうやって作られているのか?
お寺では「掃除」をどんな風に位置付け、どのように行っているのか?
曹洞宗総合研究センター常任研究員であり、山形県大石田町地福寺副住職の宇野全智さんに、仏教やお寺においての「掃除」の意味や目的を伺いながら、日本の文化として知っておきたい「掃除」の役割など、さまざま教えていただきました。
「日本の文化」と「掃除」の関係で、わかりやすい象徴的なお話があります。
例えば、海外の大半の国では、小学校の掃除は掃除専門業者が行い、子どもたちは勉強に専念することが多いと思います。これ関しては、それぞれの歴史や文化がありますし、考え方も様々で良いのだと思います。
一方、日本では、古くから掃除を他人任せにしない気質があります。小学校では、昼休みや放課後にみんなで掃除をしましたよね。最近は減っているようですが、職場でも身の回りの掃除をしているところは多くあるでしょう。
この「自分が使う場所は、自分で掃除をする」という文化や風習が体に染み付いているのが、私たち日本人なのだと思います。
中庭、玄関、下駄箱、トイレ、教室など、分担して当番で掃除していましたね。とても良い経験をさせていただいたと、私も感謝しています。今の小学校ではどうなのでしょう。
この掃除の文化は、「禅の価値観」が日本の文化に染み込んでいる所以だと考えています。茶道や華道、剣道や柔道など「道」のつく伝統的なものは、全て「禅」に通じているのですが、「掃除」の文化も同じような感覚だと思います。
「芸道」は、仏教の中でも特に禅の影響を強く受けていると言われます。精神や心を調え、育むことを目的としており、少しずつ学んで成長していくものですから、禅の修行と通じるところが多くあるからでしょう。
「掃除」も、禅の修行ではとても重要な役割を担っています。それは「もったいない」「ありがとう」を含めて、私たち日本人の精神文化の基底にある大切なものを磨くために必要なことなのです。
ちなみに、禅の修行では何を行っているかご存知ですか?
坐禅や読経などの基本的な修行はもちろんですが、それと同じぐらい、歯を磨く、顔を洗う、お風呂に入る、などの行動をとても大切にします。その中に「掃除をする」も含まれます。
日本に曹洞宗を伝えた「道元禅師」(※1)が、鎌倉時代に書いた『正法眼蔵』(※2)というお経の本があります。
この本はおよそ百もの巻に分かれているのですが、「大悟」や「仏道」等のいかにも仏教・宗教の内容の巻とならび、「洗面」などの日常の行動を記した巻があります。
つまり、顔を洗う行為ひとつでお経を書き上げてしまうほど、道元禅師は「洗面」という行動を大切に考えていたのです。
「一滴の水も無駄にしないよう、心がけて洗おう」「顔の汚れを洗い流すように、心の汚れも洗い流せるよう祈りながら、洗おう」など、目的や意味を持ちながら顔を洗うことを説いているのです。
まさにそのとおりです。ひとつひとつの行動に意味を持たせることで、何気ない日常の動作であっても大切にするという気持ちです。
現在に例えるならば、SDGsの「アップサイクル」と同じようなことだと思います。
アップサイクルとは、日常的にあるもの、無駄に捨てられるもの、捨てられるはずだったもの等の価値を再確認し、有効に活用していくことですよね。
禅の世界では、日常の全てを価値のあるものと考えており、日々の生活自体が修行としてアップサイクルされていくのです。
それが一番のポイントです。「朝起きて、顔を洗い、歯を磨いて、身支度を整え、ご飯を食べて、さあ、修行を始めよう!」ではないのです。
顔を洗うことやご飯を食べることを含めて、全てが修行となります。毎日、何気なく行なっていることを「自分を調える修行にしよう」と考えることで、自分の心と体を調え、なりたい自分に近づくのです。
なりたい自分というのは、修行僧にとっては、仏(ほとけ)らしい自分。一般の方にとっては、自らも他人からも愛される素敵な人になりたいという願いであると思います。
実はどちらも意味は同じですよね。
掃除についても全く同じで、他人任せにしないということは、自分の修行になる。自分自身のためになるということで、アップサイクルに繋がるのです。
そうですね。ただ何も考えず漫然と行うのではなく「自覚的であることが大切」だと、お経の本には示されています。
掃除に関していえば、綺麗にするだけなら業者さんに頼むほうが効率良いですよね。そうではなく、自分が使っている教室や職場などの居場所を、自らの手で掃除することに意味があり、自分自身の心を清めて調っていく「自分の修行」につながるわけです。
そのように考えると、これまで思っていた「掃除」の価値が全く変わってきませんか?
「掃除」に意味や価値を加えることで、心や気持ちがガラリと変わりますよね。
掃除で居場所がキレイになるだけでなく「気持ちがリセットされて心身が調う」という心持ちで行うのが良いでしょう。
それが日常化してくると、顔を洗うことや掃除をすることなど、何もかもが有意義で大切な行為だと思えて、愛おしく感じてくるはず。
毎日あたりまえに行なっていることにこそ、価値を見出すことが大切なのです。
修行道場では、朝のお勤めを終えて食事をした後、修行僧みんなで掃除をします。冒頭での「お寺の清々しい清涼感」についてですが、毎日決まった時間にキレイにする行為の積み重ねがあるため、より美しくピカピカになっているのです。
ですから、汚れたから掃除するのではなく、短時間でいいので毎日決まった時間とルーティーンで掃除をすることが、コツと言えるのでしょう。
さらに、掃除の目的を「キレイにすること」ではなく、「自分の居場所を整える」という気持ちにチェンジすると、毎日続けやすくなると思います。
やはり「ととのえる」「ととのう」ことです。
最近は「体がととのった」「心をととのえる」など「ととのう」という言葉が流行していますね。
たとえ心と体を調えようとしても、肝心の居場所である家・職場・学校・部屋が整っていないと、全く意味がないと思います。
<ととのう・ととのえる>
心身の調子・調和について = 調う・調える
掃除や整理整頓等について = 整う・整える
食べることや掃除をおろそかにしてしまう人が、心だけ調えようとしても無理です。顔を洗うように、歯を磨くように、毎日居場所を掃除していくだけで、自然に心は調っていくと思います。
どんなに美しく、カッコ良く着飾っていても、家や部屋はぐちゃぐちゃ…だったら、多かれ少なかれ面(おもて)に滲み出てきます。反対に、丁寧な暮らしをされている人は、たとえ目立たなくとも、心身の調いが伝わってきますね。
見えない見えるという次元を超えて、生活するスペースをきちんと整えることこそ「自分自身を調えること」だと理解している人が、本当に素敵な人なのでしょう。
そういう側面からも、汚れたから掃除するのではなく、定期的に整えていくことが大切なのだと思います。
誰もが忙しく、大変なご時世です。それゆえ掃除などの日常をおろそかにし、見た目だけを取り繕って「心を調える」という意味がわからなくなる時もあるでしょう。
心とは、実体のないものです。心は目に見えないものですし扱いにくいのです。実体がないので、心だけを調えようとしても難しい。ですから「行為に心を乗せていく」「行動に心を繋げていく」という考えが良いと思います。
*掃除という行為で、部屋も気持ちもキレイに調える。
*顔を洗うという行為で、身だしなみや心を調える。
というように、行為や行動に、心を落とし込んで具現化するとわかりやすいでしょう。部屋や庭が掃除されるように、心もキレイに調っていく…というイメージですね。
修行道場での朝の掃除は、僧侶みんなで行います。みんなで行うので、一体感のある仲間との充実した時間なのです。
ですから、ご家庭でも、職場でも、みんなで行うことをオススメします。
お母さんだけ、お父さんだけ、自分だけ、若手だけ、で掃除するのではなく、みんなで一緒に楽しみながら行なってみてはいかがでしょう?
難しいようならば、曜日を決めたり、月1度の掃除の日をつくったりするのも良いでしょう。それを続けているだけで、いつのまにか家全体が調っていく、居場所に清涼感があふれる…そんな実感が得られると思います。
ひとり暮らしの人は、曜日で掃除場所を決めるなど、とにかく楽しみながら調うことを第一に考えてみましょう。
みんなで行う際は「分業」ではなく「分担」を心がけましょう。
分業制はとても便利で効率が良いですが、誰かの負担が大きくなる場合があります。家庭の掃除では、分業制よりも分担制の方が良い結果につながると思います。
そして、毎日掃除をする目的が、居場所をキレイにするだけでなく、自分の内面や気持ちの気づき、心の変化を感じられたらいいですね。
(※1)道元禅師(どうげんぜんじ):鎌倉時代の禅僧(1200〜1253)。京都に生まれ、比叡山で修行した後、中国(宋)にわたり曹洞宗の教えを学ぶ。帰国後日本に曹洞宗の教えを伝え、福井県に大本山永平寺を開いた。
(※2)正法眼蔵(しょうぼうげんぞう):道元禅師が生涯の多くの時間を費やして書かれた書物。『正法眼蔵』という題名は「正しい仏法の眼目を余すことなく収蔵して提示しようとした書」を意味する。道元禅師が1231年から1253年の23年にわたって執筆し、約100巻の内容で示された。
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定年退職のこと
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