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寺の用語

五大明王

五大明王とは密教に特有の、5人の明王のことです。真言宗の東密では、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉からなります。不動を中心に、東に降三世、南に軍荼利、西に大威徳、北に金剛夜叉という風に、五方位に配置されています。天台宗の台密では、金剛夜叉が烏枢沙摩明王になります。金剛界五知如来が、それぞれに教令輪身として姿を現したものです。大...続きを読む

神宮寺

神宮寺とは、神社に付属して建てられた仏教寺院です。奈良時代、日本固有の神道と、外来である仏教との調和、融合のために唱えられた教説が神仏習合です。神宮寺はその結果生まれました。多くは神社に付属して建てられ、仏教施設や山内寺院として建設がされました。運営は仏教僧や寺院が行っていました。社僧と言われる神宮寺に住んで仏事を行う僧侶が、神社の...続きを読む

神仏分離

神仏分離とは、奈良時代から続いていた神仏習合の慣習を禁止して、神道と仏教を区別させたことをいいます。江戸時代後期の復古神道に伴い盛んになった思想で、明治政府によって神仏分離令が発令されました。慶応4年3月13日から明治元年10月18日に一連の通達に基づき、公的に行われました。最初に発した太政官布告は、別名で神仏分離令と言われています...続きを読む

南都七大寺

南都七大寺とは、奈良にある七つの大寺のことです。奈良を南都と言っていたことから、その名があります。平城京とその周辺にあって、朝廷の保護を受けていた寺院のことです。興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺の七つの寺院ですが、法隆寺の代わりに唐招提寺を入れたり、西大寺の代わりに川原寺を入れる説もあります。南都七大寺は平城京...続きを読む

供養塔

供養塔とは、死者や祖先の供養のために建てる石塔の事をいいます。また「供養のための会」を行ったという印の意味でも建てられることもあります。供養塔には五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)、多宝塔、無縫塔などといった様々な形があり、平安時代末期ごろからはじまったとされており、供養のために石で造られています。戦で命を失った者たちや、天災、...続きを読む

日想観

日想観とは浄土教の仏事で、瞑想法の一種です。太陽が沈む時に西の方角に向き、心を落ち着けて落日をじっくりと見ます。やがて太陽は沈み、辺りに静寂と夕闇が訪れますが、そこにまだ太陽が明瞭に見えるように、観想することを言います。この際、目は閉じていても開いていても構いません。そこに太陽をありありと感じることが大切です。この修行法は、極楽浄土...続きを読む

釈・釋

釈(釋)は浄土真宗の法名で一番上に使われる文字です。浄土真宗では他の宗旨宗派と違い、居士や大姉というランクを表す位号は使われず、釈に生前の名前から文字を取って「釈○○」の3文字にするのが一般的です。法名は、存命中でも帰敬式に参加することで授けられます。釋は釈の旧文字です。釈(釋)は釈迦を表し、法名に釈(釋)の文字がつくことで、釈迦の...続きを読む

花立塔婆

花立塔婆とは、静岡県東部(富士市・富士宮市・沼津市)で用いられる塔婆のことです。静岡県東部の一部地域では、元々お墓参りの際に竹製の花立を檀家同士で名刺の代わりに置き合う慣習がありました。竹製の花立を置き、花をお供えし、檀家の皆さんでご先祖を供養していたようです。時代の変化によって、竹製の花立と生花を置いた後の対応が大変だったため、花...続きを読む

鴨居

鴨居とは、和室の障子やふすまなどを建て込む目的で、上部にわたしてある横木の部分です。下の部分は敷居といいます。遺影写真を飾る時には、この鴨居にずらりと並べて飾る家もあるでしょう。遺影は、仏壇の真上を避け、横の鴨井に額受を使って飾るのが一般的です。仏壇の真上を避けるのは、仏壇にはご本尊をご安置しているため、ご本尊の上には何も置くべきで...続きを読む

盧遮那仏

盧遮那仏とは、大乗仏教の仏のひとつです。サンスクリット語のバイローチャナの音写から来た言葉です。バイは広く、ローチャナは「照らす」を意味するルチを語源にしています。華厳経の本尊で、太陽の意味があります。光の仏とも称される所以です。盧遮那仏の身から出た光で、宇宙の真理を全ての人を照らし、悟りに導く仏です。仏智の広大無辺を象徴するといわ...続きを読む

律宗

律宗とは中国で始まった大乗仏教の宗派のひとつで、四分律という戒律を持ちます。受戒することで成仏するとしていて、戒律を守り実行することが教義になっています。本山は唐招提寺です。南都六宗のひとつで、中国では中国仏教十三宗のひとつでもあります。律宗を日本に伝えたのは、鑑真です。鑑真は唐の僧侶で十四歳の時に出家、二十一で長安の実際寺の弘景律...続きを読む

融通念仏宗

融通念仏宗とは、良忍によってはじめられた浄土教の一派です。総本山は大阪市平野区の大念仏寺になります。華厳教、法華経を正衣、浄土三部経などを傍衣として、一人往生すれば衆人往生し、念仏を唱えれば自他ともに融通しあうと唱えるのが融通念仏です。毎朝西方に向かって、十界一念・自他融通の融通念仏を十唄することが日課になっています。続きを読む

俗名

俗名とは、戒名や法名に対して使うことが多い言葉で、生前に名乗っていた姓名のことをさします。仏式で葬儀を行う場合は、檀家になっている菩提寺に戒名を付けてもらいますが、戒名ではなく、生前の本名で葬儀を執り行う場合などがあります。その場合に、「俗名で葬儀を行う」という言い方をすることがあります。続きを読む

輿(葬儀)

輿とは、葬列の際に棺を納めて担ぐためのものです。古くは平安時代に、天皇、皇后、斎宮が葬送を行い、その際に使用されていたものです。庶民の葬儀に霊柩車が使われるようになったのは大正時代で、明治までは葬列を組んで、人力で棺を葬送していました。明治に入る前までは、葬送は夜間にひっそりと行われるもので、移動手段は座棺が中心でした。現在の葬儀の...続きを読む

灌頂

灌頂とは、頭に水をかけて、悟りの位に進んだことを証する儀式のことです。仏教では、菩薩が最後の悟りを開いて仏になった時に、智水の灌頂を受けて、成仏する儀式として知られています。灌頂は、密教の儀式のひとつとしても知られ、香水を頭にそそぐ儀式のことを言い、受戒や修行者が上の位に上がる時に行なうものでもあります。日本では、日本天台宗の最澄が...続きを読む

御文

御文とは、蓮如が浄土真宗の教義を門徒に書簡で説いたものです。大谷派では御文、本願寺派では御文章といいます。本願寺が東西に分かれる前までは、御文として統一されていました。蓮如は浄土真宗本願寺八世で、布教手段として全国の門徒に仮名書きで法語を手紙にして発信していました。消息として書き送られたものでもあります。御文は、書簡文で教義をわかり...続きを読む

落慶法要

落慶法要とは、寺院で新築や修理の完成を祝う法要です。寺院で建物を新築、再建、修繕などを行う際には、檀家や信徒から寄付を集め、大がかりな工事が行われます。工事が終われば落慶法要で本山から僧侶が集まり、檀家を集めて祝賀法要が行われます。その際には落慶法要の祝儀を包み、完成を祝います。落慶法要では、本尊などの開眼法要や入魂のための落慶入魂...続きを読む

洋型霊柩車

洋型霊柩車とは、霊柩車の中でも洋型のもののことです。宮型霊柩車と違い、金箔や漆塗りで寺院の屋根のような凝った装飾をしたものと違い、リムジン型の車輛を用いた、シンプルな寝台車型の霊柩車です。大型のステーションワゴンや高級車を改造して作ります。1989年に昭和天皇の葬儀で洋型霊柩車が使用されたことをきっかけに、一般的にも知られるようにな...続きを読む

木魚

木魚は、お経を読むときにたたく木製の法具です。中国の仏教法具が江戸時代に日本につたわったものです。一般的に家庭で使用するものは、鈴のような形になっています。材料はクスノキやクワといった木材で、響孔と呼ばれる割れ目の部分から、刀を使って中を空洞に彫った形をしています。革や布で包んだばちで叩いて使用します。木魚を打つことで、拍子を取って...続きを読む

除夜の鐘

除夜の鐘とは寺院で大晦日に夜につく百八つの鐘のことです。12月31日の除夜、深夜0時に寺院の梵鐘をつきます。百八回の数字の由来は、煩悩の数が百八あるからとか、二十四節気の二十四と、七十二候の七十二を足すと百八になることなどが通説になっています。昔、中国の寺院では、毎朝夕に百八回鐘を打ったとも言われています。平日に行われる朝夕の鐘は、...続きを読む

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