夫の死を経て50代で看護師兼僧侶へ

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道しるべ

道しるべ 第四回

『生きやすくなった』『死にやすくなった』と言う人が1人でも増えるといいなと思って活動しています。

看護師であり僧侶 玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)さん

道しるべ玉置

長男のために看護師の資格を取得

現在53歳の玉置さんは、真言宗の僧侶であり、看護師でもある。46歳のときに出家を決意し、51歳で約1年間の修業に耐え、下界に戻ってからは看護師兼僧侶として活動している。

しかし大学では法律を学び、卒業後は法律事務所に務めていた。

「学生時代、NHKの番組がきっかけで、シルクロードにものすごく憧れました。ちょうどその頃、『あなたの前世は〜』みたいなのが流行っていて、若気の至りで『前世はシルクロードにいたのかも』『中国の僧侶だったんじゃないか』って思って、確かめに行ったんです」

両親を説得し、中国留学へ。学校はそこそこに通い、バックパックひとつでシルクロードを放浪した。

「北京からシルクロードに入り、カシュガルというインドへ入る手前まで行きました。当時は中国との国交が回復してすぐくらいの頃で、みんな人民服を着ていました。タクラマカン砂漠では、地平線の彼方に、いくつも竜巻が上がっていました。『前世もここに来たんじゃないか』と、“思う”ではなくて“分かって”帰ってきましたが、すっかり忘れて普通に卒業し、就職して結婚していました」 やがて長男が生まれた。

「長男はすごい喘息とアトピー持ちだったんです。食べられないものもいっぱいありましたし、発作が出たときの対処法などの知識も必要で、『彼専属の看護師にならないと育てられないぞ』と、勉強を始めました」

長男が小学校に入学する頃、看護師のライセンスを取得。その頃にはもう、長男はある程度丈夫になっていた。「彼専属である必要はないんじゃないか」。

玉置さんは看護師として働き始めた。

道しるべ玉置2

夫の死で得た気づきから出家へ

外科で働いていた玉置さんは、がん患者と接する機会が多かった。

「抗がん剤の効果は患者さんによりますし、効かなくても副作用はあり、苦しむ方も少なくありません。辛い治療でも、治ればあと数十年生きられるという治療なら良いですが、最後の最後まで本人が望んで治療を頑張るとしても、残された時間の使い方として本当にそれで良いのか、長年モヤモヤを抱えてきました。でも、看護師という立場では、それを伝える術がありませんでした」

そんな頃、旦那さんに大腸がんが見つかる。

手術や抗がん剤により一旦は治ったが、5年後に再発。「もう積極的な治療はしたくない」。旦那さんの意志は固かった。

「主人とは言い合いもしたし説得も試みましたが、最後まで家で過ごして家で看取りました。おかげで初めて余計な医療が入らない人の死に方を見させてもらいました。病院だと亡くなるまで点滴し、受け付けないのに水分を入れるから、身体がむくんでしまうこともあります。でも主人は、食べなくなったら食べず。飲まなくなったら飲まず。ほどよく身体が枯れていき、きれいに死にました」

約2年間の看病生活が終わると、何十年も忘れていた感覚が戻ってきた。

「人間は本来、こうやって死んでいくものなのか、こんな死に方もできるんだと思いました。看取るという大きな仕事を終えたら、ふと思い出したんです。『そういえば私はお坊さんだった。俗世での仕事は終えたから出家しよう』って」

修行で得た価値観の変換

務めていた病院は、旦那さんの看病のため休職していた。

「『出家したいので辞めます』と辞職を願い出たら、上司から親戚の僧侶の方を紹介されました。出家するには師僧を探すところからでしたが、トントン拍子でした。よく、真言宗を選んだ理由を聞かれますが、師僧が真言宗だったからです。でもシルクロードを旅したとき、西安の青龍寺というお寺にすごく惹かれて1週間ほど滞在したんですが、そこは偶然にも真言宗の教祖 空海密教を恵果和尚から授かった由緒あるお寺でした」

出家には段階がある。まずは師僧を探し、「仏の教えに帰依します」という意思表示「得度」をしてもらう。

得度は1日で終了し、僧籍が得られる。次の段階「授戒」は、僧侶が守すべき戎を受ける儀式で、3日間行う。

最終段階「四度加行」は、高野山に約1年間篭って行う本格的な修行。これを終えると秘密の教義と儀礼を師資伝承によって授けられ、四度加行を終えた僧侶だけが人に教えたり弟子をとることを許される。

体力的にも厳しい四度加行は、50歳までの年齢制限があった。

当時、玉置さんは50歳。高野山に問い合わせると、「仏様にご縁があればできるでしょう」。約1年修行に向けて環境を整え、子どもたちを両親に託し、51歳で山に入った。
道しるべ玉置4
「修行は厳しかったです。2時起床、21時就寝で、1日中お経を読むか掃除をしているか。でも一番きつかったのは、価値観の変換です。下界では合理的で手際良くやることが美徳とされていますが、修行中はお釈迦様の経典が絶対です。先生の教えがお釈迦様の教えであり、先生が絶対的存在。下界の考え方は不要で、話し方から歩き方から、徹底的に直されました」

最初は叱られる度に、疑問や反抗心がムクムクと出てきた。

「何度も壁にぶつかりました。でもだんだんムクムク出てきたものを、柳のように受け流せるようになっていきました」

医療と仏教で患者に接する

修行を終えると、修行前に携わっていた在宅看護の仕事に戻った。しかし利用者の中には、年齢や病態から死を意識する人も少なくない。剃髪した風貌で務まるのか不安だったが、ドクターと話し合い、やってみることになった。

「ある利用者さんが顔のシミを指さして、『これ何の形だと思う?羊よ。私の守り神なの』って話してくれたんですが、看護師時代だったら『老人斑です』って答えてました。もしその方ががんだったら、皮膚への転移が心配なのかと思って、『皮膚科に相談しますか?』という話になったはずです。でも『へえ、羊なんだ』と答えたら、すごく話が広がりました」

利用者さんが話してくれる内容が、看護師時代と変わった。

「看護師時代は、睡眠や食欲などほぼ身体のこと優先でしたが、お坊さんになったことで、『死んだらどうなる』とか『悪いことをいっぱいしたけど地獄に落ちるかな』とか、普通は話し辛いような話をされるようになったんです」

シミの話をされたとき、「皮膚科に相談しますか?」と言わなかった背景には、修行の成果もあるのかもしれない。

「看護師の武器は医療や看護の知識です。いかにその武器を発動させるかが、看護師としての評価にもつながり、何か相談をされたら、医学的な切り口で答えるというのが身についていました。でも僧侶パターンを持ったことで腹がすわり、慌てて医療パターンを発動させなくても良くなったんです」

看護師時代に感じていたモヤモヤは、旦那さんの看護と看取り、そして出家を経て総括された。

「理路整然と考えて行動したわけではないですが、仏教の教えを学び、自分自身も楽になりました」

看護師兼僧侶として広がる活動の場

「仏教を医療の現場に活かしていきたい」との考えから、現在はメンタルクリニックで、瞑想や法話、写経やヨガなど、患者に対する仏教的アプローチを担っている。

「医療と仏教の違いが面白いんです。例えばアルコール依存症の治療は、『断酒』というのが医療的にはスタンダードです。一滴でも飲んだら『スリップ』と言って1からやり直し。でも仏教的には、一杯でやめれば大丈夫という『節酒』という考え方ができます」

依存症は完治することはない。飲みたいと思うのは煩悩のせいだが、煩悩を無くすことはできない。だから煩悩に振り回されるのではなく、コントロールしようというのが仏教真言宗的な考え方だ。

「仏教では『絶対飲みません』と『毎日飲み倒します』は同じことです。一番大切なのは、真ん中辺りをバランスを取りながらゆるゆると行くこと。飲んでもいい。飲まなくてもいい。中道でいるっていうのをすごく大事にしています」

たった一度の失敗で振り出しに戻り、医者や看護師に叱られると、「どうせ自分はダメだ。もういいや」と自暴自棄になりかねない。 「仏教だけでも医療だけでもダメ。困っている人がその時の状態に応じて、好きな方にシフトすればいいと思います」

去年の5月には、「一般社団法人 介護デザインラボ」を立ち上げた。

「長年看取りの現場で感じていたことですが、見送る人の気持ちの整理が大変です。死に直面すると、どうしても『生きている意味』や『人生とは』といったスピリチュアル的な考え方と向き合い、対応することが必要になります。青天の霹靂みたいになるとダメージが大きいので、もう少し早くから死を意識しても良いのではないかと考えていました。看取りや死に一番近いのは介護や医療に携わる人です。中でも介護職の人は、看取りや死について特に体系立てて学んでいないため、実際に看取りを経験すると、深く悩んだり傷ついたりしてしまい、離職する例も多いです。そこで、看取り前後に関わる人たちに、スピリチュアル的な問題への対応の仕方を伝える活動を始めました」

介護職や看取る側の家族を対象に「スピリチュアルケアサポーター」養成講座を開設。死にゆくプロセスで起こることや、死にゆく人の心に溜まった不安や恐怖を吐き出してもらう方法。支える側の人が抱え込む心の負担を軽くするにはどうすべきかを伝えている。

道しるべ玉置3

人生100年時代でも生きがいはすぐそこに

人生100年と言われる時代。現在53歳の玉置さんは、まだまだ折り返し地点を過ぎたばかりだ。

「今は、仏教の教えをフル活用して、医療と上手く融合させ、みなさんにお届けすることで、『生きやすくなった』『死にやすくなった』と言う人が1人でも増えるといいなと思って活動しています」

40代以降は、ご縁に導かれて生きがいを見つけてきたという。

「もし、『生きがいがない』という人がいたら、そんな大きなものをいきなり捕まえようとするのではなくて、もうちょっと足元にある日々のことを丁寧に楽しくやってみたらどうなのかなと思います。例えば『美味しいコーヒーを飲む』というのを今日の生きがいに決めたら、24時間の内に美味しいコーヒーを飲む。コーヒーを堪能したら、『明日は美味しいカレーを食べる』って繰り返しているうちに満足が貯まって、積み重なることで見えてくるものがあるのではないでしょうか」

穏やかな笑顔でそう話す玉置さんを見ていると生きがいは無理に探すものではなく、身近にあるものなのかもしれない。と思えてくる。

「きっとオーダーは出ていると思うんです。小さな満足を積み重ねたり、好きなことをする時間を持ったり、瞑想したりして気持ちを静めれば、ベクトルが内側を向くはず。私たちは普段、ベクトルを外に向けていることがほとんどです。そのうち何本かを内に向ければ、あえて探さなくても見つかる気がします」

玉置さんの場合、必要に迫られて始めたことばかりでなく、「挑戦してみよう」という直感に素直に従ったことで、現在につながっている。

年齢や境遇など、言い訳を探して目や耳を塞いでいては、本当にやりたいことには巡りあえない。人生の折り返し地点を過ぎたなら、「やり残したことはないか」「本当にやりたかったことは何だったか」を、時々自分自身に問いかける時間を作ってみるのも良いかもしれない。

この記事の道しるべさんの紹介

玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)。
長男のために看護師の資格を取得し、その後病院勤務。夫の看取りを経て仏教真言宗の僧侶として出家。現在は看護師であり僧侶として病院に勤務しつつ、「一般社団法人 介護デザインラボ」で介護する側のケアを支援している。
一般社団法人介護デザインラボのページへ

(取材・執筆:旦木 瑞穂)

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