納骨堂のLINE見学予約受付中!動画解説付き【東京都港区の納骨堂/青山霊廟】
「ずっと家にいて終活が進まない」 「そろそろ納骨したいのに見学ができない」 そんなお悩みを少しでも解決すべく、青山霊廟(東京都港区北青山2-12-9・外苑前徒歩2...
道しるべ 第一回
「同じ年月生きるとしても、誰かの役に立って生きた方が心豊かに生きられる気がします」
営業からホームヘルパーに転身 堀越正吾さん
堀越正吾さんは現在66歳。大手飲料メーカーを53歳で早期退職し「介護職員初任者研修(ホームヘルパー2級」資格を取得。その後約10年間介護の現場に身を置き、今年3月に居宅介護事業所を立ち上げた。
「40歳を過ぎた頃から、『このままでいいのか』という思いが湧き始めました。50代になって、『このまま定年まで働くか、あるいは元気で動けるうちに何か別の仕事ができないか』などと考え始めました。次にしたいことは決まっていませんでしたが、私は長男なので『いずれ両親の面倒をみることになる』と思い何となく、介護の本を読み始めました。それから、『人の役にも立てるし、勉強にもなる。自分にもできるんじゃないか』という思いが大きくなっていきました」
そんな頃、会社で早期退職者の第一次募集が始まる。まだ「介護の仕事をしよう」とは決めていなかったが、今退職をすると失業保険が支給され、教育訓練給付制度を利用すれば、当時のホームヘルパー2級(現在介護職員初任者研修)の資格取得のための学費補助が得られる。
「ちょっとやってみよう」堀越さんは退職を決意し、ホームヘルパー2級講座を受講し始めた。
受講者は自分より若い女性ばかりで、男性は1割未満。堀越さんが最高齢だった。
「最初はエプロンをつけるのもプライドが許しませんでした。でも、実習や研修で高齢の方を介護しているうちに、自然と嫌ではなくなっていました」
卒業後は家の近所のグループホームに勤め始めた。入浴の介助やオムツの取り替え、夜勤もこなした。
1年半が過ぎた頃、スタッフの一人から「訪問介護の事務所を立ち上げるから一緒に来ないか」と誘われ、職場を移る。
一人は脳障害があり、視力がなく、一人では歩くことも食べることもできない30代の男性。もう一人は下半身麻痺で、家事や入浴などが不自由な40代の男性。2人の重度障害者の担当となった。
「30代の彼は初め、全然言うことを聞いてくれなくて。お風呂に入れたはいいけど出てくれない。帰ろうとすると『トイレ』。『これは続かない』と、何度も辞めようと思いました。でも、彼のお母さんが『堀越さんが来るようになってから言うこと聞かなくなった。意思表示が豊かになって嬉しい』って言うんです。それは驚きでした。気付けば約10年も続いていました」
堀越さんは彼らの担当になってから料理を覚えた。
「当時はカレーも作れなかったのですが、家内に教わり、今ではハンバーグやオムライス、茶碗蒸しもできるようになりました。40代の彼はいつも無言で完食してくれていましたが、5〜6年経ったある日、『堀越さんは限られた食材の中で工夫して料理してくれるので頭が下がります。美味しいです』と言ってくれたんです。皿を洗いながら涙が出そうになりました」
次第に堀越さんは「自分にできるんだから、自分と同年代の男性にも介護はできるはずだ」と思うようになる。
30代の彼の家には、定年退職後にヘルパーになったという、75歳の男性ヘルパーも来ていた。話を聞くと、奥さんとの旅行など、趣味の時間を楽しみながら、自分のペースで介護の仕事に取り組んでいた。
「独立して、自分と同年代の男性と一緒に介護の仕事がしたい」。当時の訪問介護事務所のオーナーに相談すると快諾。独立の際、担当していた30代と40代の彼を「引き続き頼む」と言ってくれた。
介護事業を始めるには、まずは法人を設立しないといけない。堀越さんは夫婦で協力して必要な書類をまとめ、何度も法務局に足を運び、昨年2月に「株式会社トータルほっとサポート」を設立。その後、東京都に訪問介護の事務所設立申請を行い、今年の3月に無事認可が下りた。
「書類の不備などで10回くらいダメ出しをくらいましたが、ようやく開業に漕ぎ着けました。とはいえ、会社としてのシステム作りや海外の介護事情など、勉強しなくてはならないことが山積みです。なので今年いっぱいは基礎固めに集中して、来年からスタッフを増やしたいと考えています」
事業所名は「かいごりらんど」。強くて優しいゴリラのイメージから奥さんが名付けた。
早期退職してから約13年。66歳で会社を設立し、介護事務所を立ち上げた行動力や決断力には脱帽する。しかし退職する際、老後の生活に対する不安はなかったのだろうか。
「早期退職者には、同じくらいの給料で別の就職口の斡旋もありました。でも、長年営業畑で働いてきましたが、正直会社勤めはもういいです。ヘルパーになって、金銭的には収入は減りましたが、精神的にはものすごく豊かになりました。営業時代は表面上繕って、売上さえ上げれば良い。でも障害者は、表面だけ繕っても動いてくれません。苦労もしましたが、それを乗り越えたときの達成感が全然違うんです」
訪問介護は利用者と1対1で接するため、なかなか心を開いてくれず、悩んだ時期もあった。
「デイサービスに逃げようかと思ったこともありました。でも、彼らやその家族、事務所のオーナーや家内の理解とバックアップがあったから続けてこられました」
ヘルパーは限られた時間の中で仕事をこなし、利用者やその家族との信頼関係も築かなくてはならない。介護の仕事に対するやりがいはどんなところに感じるのだろう。
「一番は笑顔です。40代の彼はアイドルやサッカーが好きで、嬉しそうに写真を見せてくれたり、話をしてくれるんです。30代の彼にはいつも『あーそーぼ』と声をかけます。入浴も食事も、遊びやゲーム感覚で一緒に楽しめるように工夫しています。『心を許してくれている』と感じる瞬間は、会社員時代に何かを得た時の何倍も嬉しいです」
人生100年と言われる時代、まだまだ先は長い。残り30余年、堀越さんならどう生きるか。
「やっぱり介護に関わっていると思いますね。事業を大きくしたいとは思いませんが、スタッフが増えたら暖簾分けをしたいです。目標は75歳の先輩ヘルパーなので、75歳までは現役で。その後は現場は退き、後輩高齢ヘルパーをサポートする立場で、いつまでも介護に携わっていたいですね」
堀越さんは「介護は男性もやればできる」と繰り返す。仕事一筋で子育て経験もなく、料理も家事もできなかった自分でもできたからだ。
「ただし無理はしないこと。介護には暗いイメージがつきまといますが、それは介護をする側に余裕がないから。時間的にも金銭的にも余裕を持って、趣味や好きなことに使う時間を確保した上で、できる範囲で始めればいいんです。人生は定年したら終わりじゃない。会社勤めの中で培った礼儀や常識、コミュニケーション力を、社会に還元しないともったいないと思いませんか。同じ年月生きるとしても、誰かの役に立って生きた方が心豊かに生きられる気がします」
40代で「このままでいいのか」と思った堀越さん。「このままでいいのか」と思うということは、その頃の仕事や生き方が「本意ではない」ということなのかもしれない。
定年をゴールと捉えるかスタートと捉えるか。捉え方一つで、その後の人生は豊かにも貧しくもなる。堀越さんの挑戦を応援したい。
(取材・執筆:旦木 瑞穂)
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