【明神宏幸】ヒット商品誕生(2/4)

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のこすかち

のこすかち」は、本当の価値とは何か?我々、今の時代を生きる人間が、次世代に「のこすべきもの」は何なのか?様々な視点から「のこすかち」を探してみたいと思いスタートした。

第一回目は、近年鰹の一本釣りで知名度を上げている明神水産株式会社(高知)の礎を築いた明神宏幸氏を取材させていただいた。

明神宏幸(みょうじんひろゆき)
昭和21年7月31日生
1986年明神水産専務取締役に就任。製造販売部を立上げ年商23億円にまで育てるも1996年解任。
同年土佐鰹水産株式会社を立上げグループ年商50億円にまで成長させるも2012年に倒産。
2013年明弘食品株式会社を立上げ現在(2016年11月)代表取締役。

ヒット商品「藁焼き鰹たたき」誕生

黒潮に乗って北上する鰹は4月から6月の時期にちょうど土佐沖を通過する。いわゆる初鰹。この初鰹の中でも「日戻り鰹」と呼ばれる鰹がある。午前2~3時に出港し、日中に釣り上げ、夕方港に戻る日戻り船から水揚げされた鮮度抜群の最上級鰹である。

1980年に大分県を発祥とした一村一品運動が各地で話題となった。これにヒントを得た宏幸氏は小さな漁港の町に特産品をつくるべく勝負に出る。
武器は極上の日戻り鰹の鮮度。
通常は夕方に戻った船から水揚げし翌朝市場に出るこの日戻り鰹。宏幸氏は夕方船がもどった時点でこれを買い取った。

翌朝市場が開くよりも早い午前3時から加工を開始。三枚におろし、真空パックにし、午前6時には土佐佐賀を出て高知空港へ搬送。第一便の飛行機で東京、大阪へ送った。輸送についてはヤマト運輸の担当者と話をつけた。

日戻り鰹を水揚げの翌日に大阪市内や東京23区に届けるこのサービスは好評を博した。するとさっそく噂を耳にした大手百貨店がぜひ取り扱わせてほしいと手を挙げた。

鮮度を考えると大阪市内、東京23区内よりも範囲を広げるのは良くないと伝えてはいたが、実際にはそれ以上の範囲へと広がってしまい、案の定、鮮度に対するクレームが百貨店に寄せられた。

百貨店担当者は反省とともに一つの提案をよこした。「刺身ではなく、土佐らしい“鰹のたたき”のほうがインパクトもあるし鮮度も持つ。本物の漁師なんだから、本格的な藁(わら)焼きでやったらどうか。」

いけると判断した宏幸氏は、高知のいごっそう*デザイナー梅原真氏に相談し「漁師が釣って漁師が焼いた」のコピーを授かった。*「いごっそう」とは「気骨のある男」「快男児」などを意味する土佐弁。

こうして「藁焼き鰹たたき」が生まれた。

圧倒的に贈答品としての需要が多かった藁焼き鰹たたき。贈る人、もらう人の気持ちを考え、少しでもいい状態で食べてもらうためにどうするかを常に考えた。

受取人が不在で数日受け取れないなどの事態が起きてはまずいと、発送の際は送り先に一軒一軒必ず電話をして、受け取れる日を確認した。味はもちろんのこと、この丁寧な対応がさらに評判を呼び、もらった人がまた違う人に贈るという好循環が起きた。

ある時、富山県の方からクレームの電話が入った。「あなたのところは賞味期限が切れた食品を送ってるんですか?」と。応対に困る女性社員に代わり宏幸氏が電話に出て、確認すると事情が見えてきた。

Aさんが新潟県のBさんに送った藁焼き鰹たたきをBさんがCさんに送っていたのだ。電話はこのCさんから。当然Bさんには在宅確認を行い受け取れる日に配送されていたが、Bさん宅を経由してCさん宅に届いた際には到着から3日以内という賞味期限が切れていた。

宏幸氏はBさんが転送したことは伏せ「うちの娘(鰹のこと)がお宅にいったのに、手違いでそんな状態になってしまっているので、もう一度送りなおします。ぜひ美味しい鰹を召し上がってください」とすぐに代わりの品を手配した。

後日事情を知り、この対応に感銘を受けたCさん、実は日本酒の蔵元さんで「自分のところの商品の流通にまでこれだけ責任感をもっているとは勉強になりました」と、その後お得意様となった。

成功の鼓動

需要が伸びる中、鰹の仕入れルートも開拓した。土佐沖だけでなく焼津や石巻など東であがる鰹も仕入れて藁焼きたたきにし、全国各地に送り出した。

「東の鰹は脂がのってうまいことを知っちょったき」と土佐沖以外の鰹を使う事に躊躇はなかった。今でこそトロ鰹などと呼ばれて、東の海で獲れる鰹の評価も高くなっているが、当時は西で獲れる鰹のほうが赤身の色が鮮やかで値が高かった。

長年鰹を見てきた宏幸氏は、北上し脂がのった東の海で獲れる鰹の美味さを知っていたからこそ自信を持っての決断だった。

仕入れ先を広げる一方で、一本釣りの鰹しか取り扱わない姿勢は貫いた。鰹の漁法は大きく一本釣り漁と巻き網漁に二分される。

鰹は泳ぎながら海水をエラでろ過して酸素を吸収するため、寝ながらでも泳ぎ続ける魚。巻き網の鰹は網を徐々に絞っていく漁法で、網が絞られ、泳ぐスペースがなくなった鰹は酸欠状態となり、苦しくて暴れ一気に体温が上昇し全身に血が回って身が変質し味も落ちてしまう。

一本釣りの鰹は釣って数十秒で冷凍される。当然一本釣りの鰹のほうが値が高い。

鰹を知り尽くす宏幸氏が目利きし、生産工程も工夫を重ね、人口5000人にも満たない小さな港町でスタートした明神水産製造販売部は常軌を逸した成長スピードで1996年、設立から10年で23億円を売上げるまでに成長した。

スタートした1986年はまさにバブル期に突入するタイミング。今では当たり前となったヤマト運輸のクール宅急便や即日便がスタートしたのがちょうどこの頃。日本生活協同組合連合会(生協)も浸透し始め、藁焼き鰹たたきの販路拡大に大きく寄与した。

時代も大いに味方したが、仕入れ、生産、物流、販売、などすべてにおいて品質にこだわり努力と工夫を重ねた結果であった。

宏幸氏は手ごたえを感じつつあった。冒頭に紹介した田舎の小さな港町にそぐわぬ三階建ての豪邸を立てたのもこの頃。もちろん自分が結果を出してきた自負もあったが、全国から来てくれるバイヤーが宿泊する宿もない港町。高知市まで戻るとなると2時間以上かかってしまう。

せっかく来ていただいたバイヤー様に時間を気にせず自慢の藁焼き鰹たたきを試食していただきたいと考え、ビジネスホテルのようなゲスト部屋を備えた自宅だった為、外から見ると豪邸に見えた。そんな意図を知らぬ者から見ると成功者の豪邸だった。


特集のこすかち 明神宏幸インタビュー

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