香りと出会い、向き合う。聞香・お香の楽しみ方/香十【心にいい日本の文化】

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◯香十1・5

日本の三大芸道のひとつ「香道(こうどう)」。香木と香文化は、6世紀の仏教伝来とともに「祈りの香」として日本に伝わり、平安〜鎌倉の世を経て室町時代に「遊びの香」の要素を携えて創造された日本独自の伝統芸道です。

古式ゆかしい「香文化」の歴史を紐解きながら、「香道」の魅力、香りの効果、現代でのお香の楽しみ方など、1575年創業の老舗御香所「香十」の特別顧問、稲坂良弘氏に教えていただきました。



お話を聞いた専門家

稲坂 良比呂(いなさか よしひろ)さん

稲坂さん写真

早稲田大学演劇学科卒。劇団文学座、財団法人現代演劇協会を経て、脚本・CM演出など舞台やテレビ等でも活躍。日本の香道文化を初めて世界へ発信した実演舞台の構成・演出も担当(1982年NY国連ホール)。2004年「香十」代表取締役社長に就任、現在は特別顧問。香文化を世界に広める活動を精力的に行い「香の伝道師」と呼ばれている。著書『香と日本人』(角川文庫:2011年)他

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銀座香箱の地下1階にある「香十」銀座本店/©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

香りの10の優れた性質「香十徳」

信長の時代、天正年間に京都で誕生

「香十」は、織田信長公が天下統一に向けて権勢をふるっていた天正年間に京都御所の傍に誕生しました。

「445年前の1575年・天正3年、京都で香を商う暖簾として生まれました。創始者の安田又右衛門源光弘が平安王朝の清和天皇の血筋を受けた清和源氏安田義定の末商だったことで、御所御用を拝命されます。京都には老舗の御香屋さんが多数ございますが、私どもが香商いのはじまりだと言われております」

天正年間に誕生した「香十」は、安土桃山文化とともに栄えていきます。現在、京都では東山・二寧坂に店舗を残し、東京銀座に拠点を構えて世界へ日本の香りの文化を発信しています。

香十の原点であり本質「香十徳」

お香や香道に精通する方には馴染み深い言葉になりますが「香十徳(こうじゅっとく)」「香の十徳(こうのじゅっとく)」をご存知でしょうか?

「香十徳」とは、香りの有効性や優れた特性を書き表した漢字四字・十項の徳目です。

香りには「10の良い徳をもたらす効果がある」とした北宋の詩人の言葉を、室町時代の高僧として名高い一休禅師が書き広めたとされています。

お香が「仏と現世をつなぐ」と言われ、無量の優れた功徳を得ると言われる所以になります。

◉香十徳(こうじゅっとく)

一. 感格鬼神(かんかくきじん)・・感は鬼神に格(いた)り
 意味:感覚が研ぎ澄まされる

二. 清淨心身(しょうじょうしんじん)・・心身を清浄にし
 意味:心身を清く浄化する

三. 能除汚穢(のうじょおえ)・・能(よ)く汚穢(おわい)を除き
 意味:けがれをとりのぞく

四. 能覺睡眠(のうかくすいみん)・・能(よ)く睡眠を覚し
 意味:眠気を覚ます

五. 静中成友(せいちゅうじゅうよう)・・静中に友と成り
 意味:孤独感を拭う

六. 塵裏偸閑(じんりゆかん)・・塵裏(じんり)に閑(ひま)を偸む
 意味:忙しい時も和ませる

七. 多而不厭(たじふえん)・・多くして厭(いと)わず
 意味:多くても邪魔にならない

八. 寡而為足(かにいそく)・・寡(すくな)くして足れりとす
 意味:少量でも十分香りを放つ

九. 久蔵不朽(きゅうぞうふきゅう)・・久しく蔵(たくわ)えて朽ちず
 意味:長い間保存しても朽ちない

十. 常用無障(じょうようむしょう)・・常に用いて障りなし
 意味:常用しても無害である

「香りが心身に与える10つの効能を記した香十徳は、“香の身上書”といっても過言ではありません。“常に用いて障りなし”の記しどおり、香りが私たちにもたらす効果は良いものが多くあります。この香りの十の徳を広めることに使命を持って“香十”というのれんを掲げてスタートしました」

人類が香りと出会い、良いことだけを受け取りながら文化として成熟する過程で生まれた「香十徳」。ひとつひとつ読み解いていくと、今の時代にフィットする項目が多数あることに気づきます。

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お香ひとつで空間の雰囲気が変わる

「香十徳」の10の効果には心身の健康を保つための項目が多く、現代のアロマテラピーやリラクゼーションを思い起こします。

「好きな香りは鬱々としている気持ちをリフレッシュしてくれます。好みの香りで身体を満たせばリラクゼーション効果が得られます。香りの力でヒーリングの領域に導くことも可能です。コロナ禍をきっかけに“日本にはこんなに素晴らしい文化があったのか”と気づいた方も多いと感じています」

自宅や屋内で過ごす時間が増える中、お香の香りをプラスするだけで全く違う印象になり、時間やその場の空気も変えることができる。限られた空間のイメージを手軽に変えたい時には、香りはとても有効だそう。

「見慣れた部屋、飽き飽きした家に長くいると、閉塞感で気持ちも落ち込みがちになりますよね。そんな時、香りひとつで時間の流れが変わったような印象になれます。香りと出会い、香りと向き合うことで、自分の内面とも向き合うことができます」

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「香りを嗅ぐ」ではなく「香りを聞く」

精神状態で香りの印象は異なる

香りは、その時の気持ちや精神状態で全く違った印象になるそうです。日本最初の勅撰和歌集「古今和歌集」の撰者である紀貫之・凡河内躬恒が、同じ香木の香りを楽しみながら歌を詠み、それぞれ異なる歌になったという話を教えてくださいました。

「紀貫之は “吉野の山に咲く山桜の香り”と。凡河内躬恒は “霜を帯びた白菊の花の香り”と。ひとつの香木から、花の種類だけでなく季節においても違う印象を持ってよいのです。つまり香りには正解がないというお話です」

10人が一緒に香木を楽しめば、十人十色の香りの味わいが生まれる。香木やお香は抽象的な香りなので、鼻から入って脳内の記憶によってどのようにも変化する。そういったことから、香りの芸道が生まれまたそうです。

香りを聞く「聞香(もんこう)」

一般的に私たちは「香りを嗅ぐ(かぐ)」と言います。ですが香道の世界では「香りを聞く(きく)」と言い表します。なぜなのでしょう。

「先に述べた通り、香道で用いる香木の香りは、単に嗅覚だけで捉えられるものではありません。具体的にコレと言える香りではなく、決まりのない抽象的な香りです。自らの意識を集中し、どんな香りなのか脳内で答えを導き出すため“心が香りを聞き取っている”と考えます。そのことから“香りを聞く”“聞香(もんこう)”と言われているのです」

深く神秘的な香りを心で聞き取るため「鑑賞香(かんしょうこう)」とも言われているそう。「香りを聞く」「聞香」とても美しく、日本らしい奥ゆかしさも感じられる素敵な言葉です。

◯香十1・5

日本独自の伝統文化「香道」

室町時代に開花した日本独自の香り文化

あらためて「香道」の歴史について。「日本書紀」の記述では、推古3年(595年)淡路島に一本の流木が漂着します。人々はその流木を薪にしようと火をつけました。すると神秘の香りが立ち上がり、慌てて火を消して朝廷に届けたとのこと。

「時の女帝、推古天皇にその流木を献上したところ、傍にいた摂政・聖徳太子が“これは流木ではなく奇跡の木「沈香」である”と言ったとの記録が残っています。(後代の「聖徳太子伝暦」に詳述)漂流して流れ着いた稀有の至宝としての逸話はとても素敵ですね」

飛鳥時代に「仏様の祈りの香り」として日本に伝わり、時を経て平安時代には「遊びの香り」として発展していきます。その過程で、日本独自の香り文化が育まれていくのです。

「神秘の香りとして伝わってきた香木を、日本人は単なる“モノの伝来”ではなく、さらに深読みをして“精神の領域”としてとらえ、神聖な品として大切に育みました。そうして平安王朝から奈良・鎌倉を経て、室町時代後半に日本の芸道文化は一斉に形となって現れるのです。それが室町幕府8代将軍・足利義政の頃に栄えた東山文化であり、日本独自の香道のはじまりとなります」

面で広がり、深みと高みを重ねた「香道」

仏教伝来とともに“祈りの香り”として伝わった香の文化。それを深い部分で読み解き、独自の文化として発展させてきた先人たちの高い意識とセンスに敬意を持ちます。

「平安王朝からの習わしや伝統を継承しながら発展してきたのが、現在の香り文化であり香道なのです。元々の根っこの部分は損なわず、良いものだけを取り入れながらさまざまに進化させてきたのは、世界でも日本だけだと言われています。日本の香の文化は、独特であると同時に誇れるものなのです」



もともと「香道」という形が出来上がっていたのではなく、素晴らしい香の習わしを守りつつ新しい文化を取り入れながら成長してきた。「面で広がりながら、深みと高みを重ねてきたのが香の歴史です」と教えていただいた言葉が印象に残りました。

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江沈香や丁字・白檀などを粉末にし、梅肉や蜂蜜で練り固めた「練香(ねりこう)」

芸道をたどれば仏教につながる

「香道だけでなく、茶道・華道も室町時代に日本独自の文化として熟成され、芸道として一気に開花しました。そのお茶もお花も、伝統芸道として香と同じ歩みをしています。日本の芸道のすべては仏教が由来ですよね」

仏教での位置付けは守られつつ、生活文化の中に浸透してきている芸道。仏様に祈るためだけでなく、心豊かな生活を育むために広く使われています。

「心にも体にも良い効果をもたらすという香十徳に倣い、私たちの生活の中にもどんどん浸透していますね。仏教と日本文化は、切っても切れないご縁があるのでしょう。これから先も末長く受け継がれてほしいと願っています」

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江戸時代の香の名人の名を冠としたお香「高井十右衛門」/©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

まずは「好きな香り」に出会うこと

香りに出会い、好きな香りを見つける

お香の世界や香道に興味を持ちながら「敷居が高そう」「費用がかかりそう」「難しそう」などと二の足を踏んでいる人も多いのではないでしょうか。日本の伝統芸道を体験するには「それなりの準備や心構えが必要なのでは」と考える人は少なくないと思います。

「まずは難しいことは考えず、脳や体が求める香りを探すことから初めていただきたい。お香の世界は、自分の好きな香りに出会うことが最も大切なことです。手軽にお試しできる“いろは”という花と香木をモチーフにしたお香はいかがでしょう。1箱900円30本入りで香立て付き。12種類の香りで気軽にお香の世界を楽しめると思います」

スティックタイプのお香「いろは」の12種類の香りには、それぞれ情景が思い浮かぶような商品名がついています。彩りも鮮やかでパッケージも可愛らしく、シリーズで揃えたくなるような印象。

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初めてのお香に。和花と香木をモチーフにしたお香「いろは」

「例えば、薔薇の香りは“朝日に輝く薔薇のアーチ”と命名されています。好みの香りを見つけ出しやすいように、という願いが込められています。平安王朝の人たちが香りを聞きながら歌を詠んだことに倣ったネーミングです」

まずは好きな香りを見つけて手に取ってみる。心に響く香り、安らげる香りを見つけることからスタートしてほしいとのこと。

また、どんなスタンスで香りを楽しみたいのかということで、かける予算も時間も違ってきますが「それで良いのです。自由に楽しんでほしいですね」と教えていただきました。

座学・オンライン講座で知識を蓄える

丸ごと香りビル「銀座香箱(こうばこ)」

「香十は、日本にはこんなに素敵な文化があるのだということを紹介し、“香の徳”を広め伝えることを使命と考えています。今は難しいかもしれませんが、情勢が落ち着きましたらお店に足を運んでいただき、様々な香りを気軽に体験してください」

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香りにまつわる店や会社が集まった「銀座香箱」/©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

香十の本店は銀座4丁目、銀座の香りの箱と書いて「銀座香箱」と呼ばれるビルの地下にあります。店舗では、商品の販売だけでなく、聞香や調香のワークショップ体験ができる「座 香十 楽」、3階には本格的な香間「暁」があり、ワークサロン「座 香十」を行っています。

「店内は、香道で用いる香木や茶道では馴染みの深い練香(ねりこう)から、手軽なお線香まで幅広く取り揃えております。お香は焚かなくても香りますから、好きな香りを探してみてください。また“座 香十 楽”はバーカウンタースタイルでワークショップを体験できます。カフェに立ち寄る感覚でカジュアルに香の世界を感じてもらえます」

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聞香や調香のワークショップ体験ができる「座 香十 楽」/©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

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銀座香箱3階にある香間「暁」/©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

知識を得て、より深く香の世界を堪能

コロナ禍以後、香の知識を学ぶオンライン講座が人気とのこと。ワークサロン「座 香十」の香間「暁」から発信されることが多く、日本の文化や香の歴史など多数の講座が開催されています。

「現在はオンラインが主流になっております。普段ならば“話よりもお香の体験したい”という方が多いのですが、ご自宅で寛ぎながら深い知識を得られると好評をいただいております。オンラインで知識を溜め込み、実際に香りを楽しむ時間をより豊かなものにしていただければと考えています」

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香間「暁」でのワークサロン座学の様子「源氏物語を香で語る」(コロナ禍以前)

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聞香体験が自宅でできる道具一式が届きます「おうちで聞香セット」

また、自宅でYouTube動画をみながら香道の聞香体験ができる「おうちで聞香セット」も好評とのこと。香木からお道具一式が届くため、はじめての方も灰手前(灰ごしらえ)をすることができます。

「心に響く香り、安らぎを感じる香り、優しい気持ちになれる香り…そんなお香に出会うと身も心も深く癒されます。伝統や作法などを気にせず、まずは小さなお線香からはじめて、寄り添ってくれるお気に入りの香りを見つけてみてください」

(取材・文:編集ライター 田鍋利恵)


この記事の取材協力先

香十・銀座本店
https://www.koju.co.jp/
香十・オンラインショップ
https://www.koju.co.jp/shop/
香十・ワークサロン「座 香十」 https://www.koju.co.jp/thekoju/worksalon.html

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香十 銀座本店 ©Sohei Oya(Nacasa&Partners)

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香十 京都 二寧坂(東山区桝屋町)

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