「喜ばれる喜びを、子ども、高齢者へ」エンジニアから人事・労務に転身

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道しるべ

道しるべ 第二回
キャッチフレーズは「喜ばれる喜びを、子ども、高齢者へ」

道しるべ第2回 エンジニアから人事・労務担当に転身 安藤裕二さん

46歳で社会保険社労士の資格を取得

認定NPO法人カタリバで人事・労務を担当する安藤裕二さんは、現在52歳。4年前までは、大手メーカーでエンジニアとして働いていた。転機が訪れたのは、彼の3人目の子どもが生まれ、400日間の育児休暇を取得した時だった。

「男性では珍しい長期育児休暇取得でした。社会では男性の育児休暇の取得も推奨されていて、休暇を取ることは労働者の権利でもあるはずなのに、上の人からは『辞めるつもりだよね』『戻ってきても仕事ないよ』などと嫌味を言われました。気の弱い人なら、要求を引っ込めてしまったかもしれません」

社会に出てからずっと「労働者と使用者が対等になるにはどうすればいいんだろう」と考えてきた安藤さん。やがて、社会保険社労士の資格に興味を持ち始める。

「勉強し始めたら面白くなって、気付いたら資格を取っていました」

取得後は、資格を活かせるポジションへの異動を希望し、会社と交渉したが上手くいかなかった。そんな頃、勤務していた大手メーカーのリストラが始まる。

「嫌がらせがあったり、『追い出し部屋』ができたり、社内の雰囲気も悪くなってきて『ここでは人事や労務の仕事ができそうにない』と思い、転職することに決めました」

認定NPO法人カタリバとの出会い

「人事・労務担当者募集。未経験者可」という求人を見つけた。
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「私は長年教育に興味があり、以前は先生になりたいと思っていました。転職の経験は過去にもありますが、その度に『教育に携わりたい』という気持ちがもたげてきました。当時私は48歳。社会人人生も先が見えてきています。だからもう他のことは一切考えず『チャンスじゃないか。やってみたいなら飛び込もう!』と思い、挑戦することを決意しました」

それが現在務める認定NPO法人カタリバ。社会保険社労士の資格が活かせて教育にも携われる、理想的な職場だった。

「若い人が多いと聞いていたので『私みたいな年配の者がいて大丈夫かな』という心配は多少ありました。しかし、今でこそ100人規模の団体になりましたが、当時はまだ50人いないくらいだったので、人事・労務だからといってそれだけやっていればいいわけではありません。入社してから上司に聞いたのですが、エンジニア経験もあって、教育に興味を持っていて、社会に対するいろいろな問題意識もある。『何でもできそう!』ということで採用されたようです」

「産休・育休・時短勤務制度」の整備に尽力

念願が叶い、人事・労務担当者として働く安藤さん。入職して4年になるが、最も大きな功績は、産休・育休・時短勤務制度を整備したことだ。

「入職後すぐに『産休・育休を取りたいという人がいるから、制度を作ってくれないか』と頼まれました」

2013年6月に入職し、職員が産休・育休に入ったのが7月。入職早々、実質1ヶ月で新しい制度を整備した。

安藤さんは自身の育休取得経験を活かしつつ、顧問の社労士や他団体の人事・労務担当者などに相談したり、上司や取得希望職員と話し合いながら制度を整えていった。産休・育休取得第一号となった職員は、「安藤さんがいなかったら一人で団体と交渉しなくてはならなかった。本当に感謝しています」と話す。育休明けには、時短勤務についても相談に乗った。

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「法律や社会で後押しされているものを制度として整備するのはそんなに大変ではないのですが、そうでないものをルールとして導入しようとすると時間がかかります。産休・育休・時短勤務制度より、人事評価制度、勤怠管理システムなんかを導入しようとすると、団体内で葛藤が起こりやすい。導入するメリットを説明して合意を作り、調整していくのが人事・労務担当者としてのがんばり所ですね」

昇華された積年の思い

一般の職員と幹部との板挟みとなるポジションのようだが、未経験でも問題はなかったのか。

「合意形成はどんな組織にもあり、社会人なら調整経験はあるはずです。だから特に戸惑うことはありませんでした。ただ、評価や給与に直結する仕事なので切実さはあります。情報漏洩にも気を使いますし、プライベートな問題にも、個人の価値観にも関わってくる。そこが難しいところであり、腕の振るいどころでもあります」

万が一、調整を超えた領域に行ってしまったらどうなるのだろう。

「私が持っている情報を全部出すなど、決定権者に詳細な状況を伝える努力をした上で、判断を委ねるしかありません。とはいえ、この団体は組織の特性上、協調的な人が多いので、そこまでの事態に陥ることは少ないですが」

認定NPO法人カタリバは、どんな環境に育っても「未来は創り出せる」と信じられる社会を目指し、2001年に設立した教育NPOだ。全国の子どもたちに、「ナナメの関係」と「本音の対話」を通じて、学びの意欲を育む活動を行っている。「教育に携わりたい」という思いは報われたのだろうか。

「教育に興味を持ったきっかけは、小学4年生の頃の担任の先生です。喧嘩があったら『無関心が一番いけない』と言って、喧嘩をした子どもではなく、喧嘩を見ていた子どもを叱る先生でした。『教育に携わりたい』という思いは、ここに来て、ある意味昇華されました。教育現場にいるわけではないですが、すぐ近くで、教育に情熱を傾ける若い方を支えている。もう以前のように「自分が直接教える」という教育に拘る気持ちはなくなったように感じます」

「これが最終形ではないかもしれない」と「楽に生きたい」

念願が叶い、積年の思いも昇華された今、順風満帆のように見える。

「エンジニアを辞めて『ゴール待ちの人生』を降りたことには、全く後悔はありません。でも、100%の納得なんてない。『これが最終形ではないかもしれない』と、今も悩みながら生きています」

悩み、考え続けることは、思考停止していない証拠だ。

「人は人に喜ばれることが何より嬉しいと信じているので、『喜ばれる喜びを、子ども、高齢者へ』を私のミッションとしています。 喜ばれる機会が減っている高齢者やまだ機会が少ない子どもにとっては、それが生きるモチベーションになるはず。特に今の子どもは自分で何かを生み出す余白がなくなっています。『自分から手を差し伸べて、相手が喜んでくれる』という経験は、一生の支えになるのではないかと考え、伝えていきたいと思っています」

このミッションは、人生のテーマのようなもの。

これがあることで、生き方に一本筋が通る。「『喜ばれるためには』『喜ばれる喜びを伝えるには』を考え続けていれば、自ずとそこに近づけるのではないでしょうか」

そう言って目を細める安藤さん。人生100年と言われる時代だが、彼の場合はまだ半分を過ぎたところだ。残り40余年をどう生きるか。
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「楽に生きたいですね。最近親の介護に関わるようになって『頑張るだけが幸せじゃない』と思うようになりました。バランスが大切だなと。アーリーリタイメントではないけれど、今は『頑張り過ぎない』人生設計を立てています」

より良く生きる方法を悩み、考え続けながらも、「楽に生きたい」と笑う安藤さん。その姿は実に等身大だ。それでも彼の生き方がブレなかったのは、独自に考えた人生のテーマがあったからなのかもしれない。

人生には様々なステージがある。定年は、ひとつのステージにおけるゴールというだけで、そこで人生が終わるわけではない。長く見通した人生を考えること=人生のテーマを持つことで、どんなステージにおいても慌てることなく、有意義な人生を送れるのではないだろうか。安藤さんの今後を見守りたい。

道しるべさんの紹介

安藤裕二(あんどうゆうじ)認定NPO法人カタリバで人事・労務を担当。元大手メーカーのエンジニア。『喜ばれる喜びを、子ども、高齢者へ』を自身の信条としている。
認定NPO法人カタリバはどんな環境に育っても「未来は創り出せる」と信じられる社会を目指し、2001年に設立した教育NPO。月1,000円から寄付が可能。カタリバのページへ

(取材・執筆:旦木 瑞穂)

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