地域による特色~納骨堂の始まりや収骨のちがい~

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地域によって納骨堂の始まりや収骨は違うのでしょうか。ある地域を例にあげてみましょう。

ある地域での納骨堂の始まり

九州では、上京するときに菩提寺に先祖の遺骨を預けていく「骨預り」という習慣がありました。そのため、寺院がいったん預かった遺骨を保管する目的で、納骨堂を始めたといいます。

九州地方では、納骨堂に一時的に遺骨を安置する場所を「骨預り」とよんでいて、主にお墓の改築や建設中、お墓を建てるまでの一時的な遺骨の安置場所として提供していたようです。

また、北海道では、冬季には墓地が雪で埋まってしまい、墓参りをすることができない場所がありました。また、北海道へ移り住んできた人々はいずれ本州へと戻っていく予定であったので、遺骨はそれまでの間、寺院で預かってもらうという目的で、納骨堂が発達したといいます。

納骨堂は、発達し定着している地域と、墓を建てるまでの一時的な用途として使用されている地域があります。首都圏に多いと思われがちな納骨堂ですが、北海道、近畿圏、九州地域にも多く、独立したひとつの施設として、永代供養などに利用されています。

関東と関西の収骨のちがい

関西と関東では収骨の文化が違います。

関西では、5~7寸くらいの中骨壺と言われる小さいサイズのものを使い、関東では7寸くらいの大骨壺という大きい骨壷を使います。

関東では遺骨は全て収骨しますが、関西では一部のみを収骨するためで、関東の骨壺は20センチくらいのところ、関西では15センチ程度のひとまわり小ぶりなサイズになるのです。

また、関東では骨壺のまま納骨しますが、関西では木綿の袋に移したものを納骨するところもあります。

そのため、関東でお葬式をあげて関西の納骨堂に遺骨を移動させたところ、納骨壇に骨壷や骨箱が入らなかったということもあるといいます。

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