【若槻せつこ】打ち掛けの意味・文化・技術を次世代に残したい(1/4)

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のこすかち
若槻せつ子(わかつきせつこ)
打掛をはじめとしたビンテージ着物に込められた伝統の技術や文化を後世に残したいと奮闘するファッションディレクター。自社ブランド「ローブ・ド・キモノ」を発信する若槻事務所代表。

本当の価値とは何か?

我々、今の時代を生きる人間が、次世代に「のこすべきもの」は何なのか?

様々な視点から「のこすかち」を探してみたいと思いスタートしたこのコーナー。

第3回目は、打掛をはじめとしたビンテージ着物の魅力に取り憑かれて以来、約500点もの打掛を収集し、若い女性たちにその美しさや意味を伝え、伝統の技術や文化を後世に残したいと奮闘する、ファッションディレクターの若槻せつ子さん。

打掛との出会いや魅力、伝統や文化を残すために取り組んでいる活動について話を聞いた。

日本初のファッションディレクター

若槻さんは1969年、文化服装学院を卒業した後、ニットデザイナーの卵として総合卸問屋に入社。

ところがニットのデザイナーは一人きり。上司は部長で多忙だったため、何も教えてくれない。

若槻さんは自ら工場にまで足を運び、職人から様々な知識や技術を学び取った。

その後、㈱ジュン、㈱高島屋 デザイン室、㈱ナルミヤ・インターナショナルなどを経て、1984年、「サラリーマンデザイナーでは、息子を大学まで行かせられない」と、離婚を機に独立。様々な業種の企業顧問として、ファッションに関するコンサルティングを行ってきた。

ほとんどの女性が20代前半で専業主婦になる時代に、「日本初のファッションディレクター」と称され、テレビの取材を受けるほどの活躍ぶり。

雑誌の連載を持ち、大手企業のユニフォームのデザインを数多く手がけた他、何度もイタリアやフランス、イギリスやアメリカ、中国や台湾、韓国などを訪問し、買い付けや工場視察、展示会などに携わってきた。

そんな若槻さんの転機は、50代の初めに訪れた。

「年に数回は海外へ行く生活。売上の計算だとか、どうしたらあの会社を立て直せるかとか、社員教育とかに頭を悩ませ、数字に追われる毎日に疲れていました。そんな頃、顧問をしていた京都のブライダル会社を訪れたときに、無造作に置かれていた打掛が目に入り、あまりの美しさに衝撃を受けました」

若槻さんはその打掛を譲り受け、以来、打掛の収集を始める。

「アートのような感覚で、夢中で集めていました。顧問をしていた頃は海外にばかり目が行っていましたが、初めて打掛を見たとき、『日本にはこんなに素晴らしい物があるのに、何で今まで自分の国のことをないがしろにしてきたんだろう』とすごく後悔したんです」

約20年間で収集した打掛は、およそ500枚にのぼる。

打ち掛け1

「KIMONOドレス」のレンタルSHOPスタート!

打掛の収集を開始して3〜4年経った頃、打掛を活かした「KIMONOドレス」を作り始めた。

「打掛を仕事にする気は全くありませんでした。だけど今って、着物自体、なかなか着ないじゃないですか。だから初めは、『着物をドレスにリメイクすれば気軽に着れますよ』っていう提案のつもりだったのです。多くの人は、お母様の振袖やお祖母様の黒留袖などはタンスに眠らせていましたし、当時は地味婚で、高額な打掛を着る花嫁が少なく、打掛は海外のインテリアとして売られていました」

せっかくある着物を、ただしまっておいても意味がない。「やっぱりいいものは着て欲しい」。

「私はデザイナーでしたから、西洋の立体的なフォルムを創る技術と、平面だからこそできた一枚の絵のような装飾の美とを融合させ、『KIMONOドレス』を創りました」

打ち掛け2

若槻さんは、打掛や帯締め、帯揚げなどを活かし、ビーズや皮革、鋲などを組み合わせ、「KIMONOドレス」を数着作った。

ほどなくして「個展を開きませんか」という話が舞い込み、1999年、東京・世田谷ギャラリーにおいて、最初の「KIMONOドレス展」を開催した。

「私は見てもらえるだけで良かったんです。でも、『KIMONOドレス』を見た方から『レンタルできませんか』と言われて、『やってみようかな』と思いました」

翌年、南青山にウェディングドレス&「KIMONOドレス」のレンタルSHOP「ウロド ウロド」をオープン。

「雑誌に広告を出そうとしたんですが、当時は『25ans』も『ゼクシー』も『結婚ピア』もNG。『着物でもドレスでもないからダメ』って断られました。流行通信の編集長が、当時、ウエディングブックの編集長でしたので、広告を出させてもらえたんですが、電話番号を間違えられてしまって…」

せっかく広告を出しても、電話番号が間違っていては問い合わせは来ない。それでも、翌年の正月休みに、お客さんは来た。

「『電話が通じないから地図を頼りに来ました』って、わざわざ岩手と沖縄からいらっしゃったんです。やっぱりみなさん和装が嫌いなわけじゃないのだと思いました」

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