聖徳太子

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聖徳太子とは

聖徳太子とは、飛鳥時代の摂政です。593年に推古天皇が即位したときに、摂政として補佐役となり、政治を助けました。

冠位十二階、十七条憲法を設定し、小野妹子を隋へ派遣して国交を開きました。仏教を保護し、法隆寺、四天王寺などの多くの寺院を建立したことでも知られています。

馬小屋の前で生まれたという伝説から厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれました。一度に10人の人の話を聞き、的確にそれぞれの人に答えを返したとも言われていて、豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)の名でも呼ばれていました。

聖徳太子の遺したもの

聖徳太子は、四天王寺に貧しい人のために薬局、病院を作り、悲田院という社会福祉施設を設けて、貧しい人や身寄りのなくなった老人の世話をしました。

また仏教の教科書にもなった三経義疏(さんぎょうぎしょ)を作成しました。膨大な仏典のなかから選ばれたのは、誰でも仏になれるというシンプルなメッセージがわかりやすい法華経、女性を主人公にした勝鬘経、問答式で読みやすい維摩経の3つです。

聖徳太子は48歳で亡くなりましたが、20代の頃から墓所の候補地を決めていて、亡くなる2年前には、自分の廟の準備をしたと言われています。大阪府南河内郡太子町の叡福寺(えいふくじ)の太子墓は円墳で、横穴式石室に、聖徳太子と、母、妻の膳郎女の3人が眠っているとされています。

724年には天武天皇が伽羅を建設し、太子信仰が盛んになりました。空海親鸞日蓮などの有名な僧侶巡礼する聖地となり現在に至っています。

<関連する用語>:大念佛寺 太子信仰 太子堂 古墳 釈迦

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