「臨済宗」に関連する用語一覧

禅堂

禅堂とは、禅の修行をするための堂です。修行僧が集団生活を行い、修行に励む場所で坐禅を行う場所でもあります。禅堂に入る時には合掌低頭といって、合掌したまま少し頭を下げるようにします。禅堂では、両手をぶらぶらさせずに、叉手(左手を外側に左右の手を重ねて胸の前に保つしぐさ)で姿勢を保つようにします。続きを読む

警策

警策とは、坐禅を行う時に、修行者の肩や背中を打つ棒のことです。臨済宗では「けいさく」曹洞宗では「きょうさく」と読みます。警策の長さは宗派によってさまざまです。警策は樫木や栗の木でできていて、持ち手が円柱状で、先端部分は平たい形をしています。坐禅において警策が始まったのは、江戸時代になってからです。坐禅に参加すると、直日(じきじつ)、...続きを読む

蘭渓道隆

蘭渓道隆とは13歳で出家し、1246年に弟子とともに中国から来日した臨済宗の僧侶です。そして1253年に北条時頼によって鎌倉に建立された建長寺に招かれて臨済宗を開きました。日本では最初に鎌倉の寿福寺に入って臨済宗を広め、その後鎌倉の常楽寺で住持となりました。そして建長寺が建立されると臨済宗の開祖として開山しました。蘭渓道隆の日本での...続きを読む

行基

行基とは、臨済宗の開祖で、奈良時代の僧侶です。百済系の高志氏の出で、百済王家の子孫とする説もあります。法相宗などに学んだ後に、橋を架け、堤防を作り、池を開き、布施による貧民救済などに、集団を作って活躍しました。行基菩薩と慕われ、民衆の支持を集めたため、僧尼令に反すると弾圧されたものの、聖武天皇の帰依を受け、東大寺大仏建立への協力を要...続きを読む

栄西

栄西とは、臨済宗の開祖で、鎌倉初期の僧侶です。比叡山で天台を学んだ栄西は、2度にわたる宋への渡航で、47歳の時に天台山万年寺の虚庵懐敞になり、4年間禅を学びました。臨済禅を日本に伝えたことで知られています。帰国の際に茶の実を持ち帰り、北九州にそれを広めたといわれています。日本にお茶を飲む習慣を広く知らしめました。茶の栽培法だけでなく...続きを読む

臨済宗

臨済宗は、禅宗のひとつです。中国禅宗の五家七宗の一つが、鎌倉時代に明庵栄西が日本に伝えました。看話禅は、師匠が出す公案という問題を、弟子が、体全体で答えを見出す中で、理論を超えた真実を探すというものです。また、師匠と二人きりで対面し、弟子が提示した結果を、師匠が検証する参禅を行うことで、体得しました。浄土宗、浄土真宗の念仏を唱えて極...続きを読む

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