「戦後」に関連する用語一覧

還暦

還暦とは、干支が一巡して誕生年の干支に戻ること、また、その年を差す年齢のことをいいます。満60歳、数えで61歳のことを指します。干支は、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・申・酉・戌・亥)の組み合わせで数や方角を表すもので、その組み合わせの総数は60あります。還暦は、生まれた年の干支を...続きを読む

65歳定年制

65歳定年制とは、65歳を定年年齢に定める制度です。日本では長く、60歳が定年年齢とされてきました。しかし戦後平均寿命が格段に延び、60歳がまだ働き盛りの年齢となってきたことや、それによる生活上の経済的必要が出てきました。また、厚生年金の支給開始年齢が段階的に65歳に引き上げられることにより、60歳の定年以降年金支給まで無収入になる...続きを読む

セカンドライフ

定年後の人生を表現する言葉の1つ。「第二の人生」や「セカンドステージ」の類義語として使われています。戦後日本は生活の向上と医療の発展などにより、平均寿命が急激に伸び、男女ともに80歳を超えるようになりました。定年を迎える60もしくは65歳から平均寿命までの約15~20年という時間をいかに生きるか。定年後の第二の人生には関心がもたれる...続きを読む

団塊の世代

団塊の世代とは、戦後の第一次ベビーブーム期(1947~1949)に生まれた世代のことです。堺屋太一の同名小説に由来しています。この3年間に生まれた人口は800万人に上り、他の世代に比べ突出して人口が多くなっています。同年代の人口が多いため、1クラス50~60人もの生徒が授業を受けるなど、常に競争にさらされてきました。戦後の高度経済成...続きを読む

巫女

巫女とは、神に奉仕する女性の総称です。神楽を舞うなどの神事を行い、神職の補佐的な役割を行います。古く巫女は神楽を舞い、祈祷を行い、占いや口寄せをするといった役割を担い、神から託されたメッセージを第三者に伝えるという立場にいました。近代以降では、神社における神事の際の奉仕などを行います。続きを読む

禰宜

禰宜とは、神社における神職の職名のひとつです。一般的な神社では、上から宮司、禰宜、権禰宜の順になっていて、禰宜は宮司を補佐する立場の職位です。禰宜は、ねぎらうの語源でもある「ねぐ」から来た言葉で、ねぐという言葉を目上の人に使う場合には「祈ぐ」と書き、祈る、祈願するという意味もあります。神の心を和ませ、その加護を願うという意味です。禰...続きを読む

ぽっくり寺

ぽっくり寺、ぽっくり信仰というのが全国各地にあります。ぽっくり観音、コロリ観音、コロリ地蔵、中風除けのイビダレ地蔵、嫁入らず観音、嫁楽観音などと名がつくところは、ぽっくり寺としての役割を果たしています。ぽっくり寺の境内では、年配の参拝者が多く、お参りをすることで、無病息災、病気になったりボケたりせずに、天寿を全うできるということで、...続きを読む

崩御

崩御とは、天皇、皇帝、国王といった君主などが亡くなったことを表す言葉です。日本では、1924年の皇室喪儀令の中で、天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定しています。その後、戦後の皇室典範改正により、皇室服喪令・皇室喪儀令は廃止されましたが、慣例としてこれに準じた儀礼が採用されています。1989年に昭和天皇...続きを読む

神宮寺

神宮寺とは、神社に付属して建てられた仏教寺院です。奈良時代、日本固有の神道と、外来である仏教との調和、融合のために唱えられた教説が神仏習合です。神宮寺はその結果生まれました。多くは神社に付属して建てられ、仏教施設や山内寺院として建設がされました。運営は仏教僧や寺院が行っていました。社僧と言われる神宮寺に住んで仏事を行う僧侶が、神社の...続きを読む

互助会

互助会とは、冠婚葬祭にかかる費用を会員同志で助け合うという組織です。全国で約300社の会社があり、会員になると毎月一定の金額を支払い、冠婚葬祭の際の費用にあてるようになっています。互助会は、戦後の所得水準が低く、物資がなかった時代にできたシステムで、結婚や葬儀にかかる出費に備えるために共同でお金を出し合い、助け合う相互扶助を意識して...続きを読む

国民葬

国民葬とは、各国で、その国に功績のあった故人のために、国家が大部分の費用を負担して行う葬儀のことです。国民葬を行うための基準は、その国によって違います。アメリカでは大統領経験者が国民葬の対象になり、イギリスでは国王と王室に代表される王族、国家に功労があった人が国民葬になります。日本では、戦前には国葬と国民葬の定義がわけて考えられてい...続きを読む

亀甲墓

亀甲墓は、沖縄県に多くみられる墓で、墓室の屋根が亀甲の形をしているため、この名がついています。琉球王国では、士族の墓とされていましたが、明治12年琉球藩から沖縄県になったのをきっかけに、庶民にも急速に普及しました。沖縄戦の被害と、戦後の米軍命令で、首里・那覇にあった多くの亀甲墓は失われてしまいました。戦時中は防空壕がわりに利用されて...続きを読む

外人墓地

外人墓地とは、駐在外国人の墓地のことです。一般的に、長期滞在の外国人や、日本で没した外国人が永眠する墓地で、軍事墓地とは区別されているものの、戦時中に戦火で命を落とした外国籍の人や、捕虜だった人の多くが眠る外人墓地もあります。日本には、神戸、函館、長崎、那覇、東京、横浜にそれぞれ外人墓地があります。埋葬されているのは、政府との関係の...続きを読む

宮司

宮司は神職の職階で、神職や巫女をまとめる神社の長です。宮司は神主と混同されることも多いのですが、現在は神社で一番偉い人は、一般的に宮司のことをいいます。宮司と神主は、古くはほぼ同じ意味があった言葉です。神主は神職のことで、神社を代表する人という意味でした。1946年に神職制度が制定された際には、宮司、権宮司、禰宜、権禰宜の主に4つの...続きを読む

神主

神主は、古くは神社で神に仕える神職の長で、中心になって神を祭り、祭儀、社務を行う代表的な役割を担う人のことをさした言葉です。現在では、一般に神主と言うと、神職を行う人の総称として使われる言葉になっています。神主には職階があり、宮司、禰宜などはそのひとつです。神主の仕事は、戦前までは男性のみの仕事でしたが、戦後は女性も神主ができるよう...続きを読む

洋型霊柩車

洋型霊柩車とは、霊柩車の中でも洋型のもののことです。宮型霊柩車と違い、金箔や漆塗りで寺院の屋根のような凝った装飾をしたものと違い、リムジン型の車輛を用いた、シンプルな寝台車型の霊柩車です。大型のステーションワゴンや高級車を改造して作ります。1989年に昭和天皇の葬儀で洋型霊柩車が使用されたことをきっかけに、一般的にも知られるようにな...続きを読む

寝棺

寝棺とは、故人をあおむけに寝かした状態で納める棺のことで、座棺に対して言われる言葉です。江戸時代には、桶型の座棺が一般的に使用されていて、一部の身分の高い人だけが寝棺に収められていました。現代の日本においては火葬が一般的なため、天然木棺や、合板棺、それに布をはった布張り棺などを使用しています。形は箱型、山型、かまぼこ型などがあり、外...続きを読む

葬祭業

葬祭業とは葬儀や祭事を請け負い、葬具の販売、貸出などを含めて葬儀全般を世話する業者です。現在の葬祭業は、村落社会に急激な変化が訪れた戦後から発達したものです。江戸時代後期から棺屋、輿屋、籠屋と呼ばれる葬具道具を作り賃貸する家業があり、それが明治に発達したのが葬祭業の始まりといいます。都市部では、村の葬式組などの組織や習慣がくずれ、葬...続きを読む

国葬

国葬は国に功労があった人が亡くなった際に、国家儀式として行われる葬儀のことをいいます。国費を使って行う葬儀です。戦前には勅令として行われていたものの、大正15年に国葬令が公布され、主に皇族や国家に功績をのこした臣下について、天皇の特旨として行われていました。元首相、左右大臣、太政大臣、旧薩長藩主、王皇族などがその対象となっていました...続きを読む

神仏習合

神仏習合とは、日本に元来あった神様の信仰である神道と、外国からやってきた仏教の信仰がひとつになった宗教の考え方で、奈良時代に始まったものです。日本には元来神様が存在しました。自然の中にも神様がいたり、朝廷にも神様がいました。仏教が伝来したとき、仏教の仏もまた、日本古来の神様の一人として迎えられたという歴史があります。そこで神社に神宮...続きを読む

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