お寺の住職が法事の前に伝えたいこと

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唱導寺で法事をする際に皆さんにお話していることをお伝えします。あくまでも一つの考えですが、法事を控える方の参考になれば幸いです。

*本記事は、横浜市にある日蓮宗寺院、唱導寺ご住職、菅野海應さんによる投稿記事です。

法事をする意味

法事とは当然、亡き人への追善供養を行うことを目的としています。

供養」という言葉の語源はサンスクリット語の「プージ」(尊敬する・崇拝する)という言葉だと言われています。

私達人間は思いが強くなったり、大きくなったりすると、どうにかしてそれを形に表したり、相手に伝えたくなるものです。

本来の供養という言葉の意味と、亡き人への追善供養の意味合いは少々異なるものがありますが、「プージ」から起こる気持ちを捧げるという意味では共通しています。

法事とは有縁の方々が集い、故人から頂いたご恩やご教授を改めて思い出し、感謝と敬いの気持ちをお届けすると同時に、追善(追福作善=亡き人がなし得なかった善行をお届けし故人の徳とする)の為に皆でお題目をお唱えし亡き人が来世に於いて安穏なることをお祈りする空間です。

我々がお唱えするお題目の功徳を故人に回し向けることを回向供養とも言います。

ご仏前にお供えするお花

皆様が見て「綺麗だな」と感じるお花を用意しましょう。その「綺麗だな」と思う心がそのまま故人に届くのです。

又、お供物は故人にこれを食べさせてあげたい、と思う品(肉・魚など以外)を用意しましょう。お菓子や果物などが適当です。

お焼香の回数

宗旨宗派により異なりますが、日蓮宗では原則として3回焚きます。

3回の根本的な意味合いは「仏・法・僧」の三宝に捧げるというものですが、古聖は「第一炷は天魔波旬を遠離すと念じ、第二炷は仏祖の影現を念じ、第三炷は諸天善神の擁護を念ずべし」と語られていますが、私は少し私見を加えて追善供養の時は、

一回目

一切の魔を払う事を念じ香を焚きます。

二回目

我々を導いて下さるお釈迦様・日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)・法華経守護の諸天善神(しょてんぜんじん)(神様)に香を捧げます。

三回目

本日ご供養を志す故人に香を捧げます。

香を焚くときは何に捧げるかをしっかりと念じる事が肝要です。何事も気持ちの入らないものは決して届きません。

法事にとってもっとも大切なこと

法事(追善供養)にとって、もっとも大切なことは「報恩感謝」の心を捧げることです。

今、自分がある事はご先祖様がいてくださるからです。ご先祖様の一人でも欠けていれば、私達は存在できません。ご先祖様一人一人のご生涯、存在に感謝をし、命の相続を感じながら亡き方々の安穏なることをお祈りしましょう。

また、直接自らの血肉とはなっていない方々に対しても、今生で深いご縁を頂き共に過ごさせて頂いたのは、やはり宿世の因縁です。その出会いに感謝をし、亡き方の安穏なることをお祈り致しましょう。

今生で縁のあった者がご本尊の前に集い、故人の魂をお迎えしお釈迦様の御教えであるお経とお題目をお唱えすることにより、久遠ご本佛(お釈迦様)と亡き方々と我々は一体となり心を通わせることができるのです。

唱導寺本堂
写真:お寺の本堂でお経を唱える様子

最後に

盂蘭盆御書という日蓮大聖人のお言葉をご紹介させて頂きます。

「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身 仏になるのみならず、父母仏になりたもう、上七代 下七代 上無量生 下無量生の父母等存外に仏となりたもう。乃至子息 夫妻 所従 檀那 無量の三悪道をば離るるのみならず、皆 初住妙覚の仏となりぬ。
故に法華経の第三に曰く 願わくは此の功徳をもって 普く一切に及ぼし 我らと衆生と 皆共に仏道を成ぜん」

一人の信心と行いがどこまでも広がる世界を感じさせて下さるお言葉です。

もうすぐお盆の季節がやって参ります。いつも以上にご先祖様を近くに感じ、「報恩感謝」を捧げましょう。

posted by 菅野海應 (唱導寺)

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